沿線点描【宇部線】新山口駅〜宇部駅(山口県)

瀬戸内、周防灘に沿って、“まちじゅう美術館”の街、宇部へ。

山陽本線の新山口駅と、瀬戸内海に臨む
宇部駅を結ぶ全長33.2kmの宇部線。
かつて石炭や石灰石の輸送で
日本の近代化を担った沿線の歴史を辿りつつ
“彫刻”の街、宇部を目指した。

新山口駅から津和野駅までを約2時間で結ぶSL「やまぐち」号。2017年は12月までの土・日・祝日に運行。(11月23日、12月30、31日は除く)

新山口駅から宇部炭田発祥地、常盤湖へ

 「フォー」。漆黒の蒸気機関車からもくもくと黒煙が立ち上り、出発を告げる汽笛が新山口駅構内に響き渡る。山口線を走るSL「やまぐち」号を一目見ようと、ホーム上にはカメラを首から下げた鉄道ファンで賑わっている。「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」に合わせて客車はリニューアルされた。

 SLを見送った後、8番ホームから宇部線の列車に乗車した。列車は進路を南へと向かう。上嘉川[かみかがわ]駅の手前で山陽本線と分かれ、沿線には田園風景が続く。阿知須[あじす]駅は「山口きらら博記念公園」の玄関口。白いドーム屋根の、通称「きらら元気ドーム」を中心にスポーツを通じた地域交流の拠点になっている。

1680(延宝8)年、丸尾港築港の時に豊後国(大分県)より勧請した三神社。祭神は住吉大明神、厳島大明神、八大龍神の御三神。瀬戸内海に面した三神社は、丸尾港の“守り神”として近郷の人々に崇敬されている。

 列車はさらに周防灘に沿って南下を続けると宇部市に入る。丸尾駅にほど近い小さな入江の先に見える、こんもりした森には「三神さま」と土地の人に親しまれている「三神社」が鎮座する。祀神は住吉大明神で、江戸時代に豊後国から勧請[かんじょう]された“海の神様”だ。床波[とこなみ]駅を過ぎると、車窓の景色が開く。宇部線で唯一のオーシャンビュー。瀬戸内の輝く海原が広がっている。

常盤湖を中心に広がるときわ公園。189haの公園内では、四季折々の自然に触れられ、ミュージアムや動物園、UBEビエンナーレ彫刻の丘などさまざまな施設が点在する。

 まもなく常盤[ときわ]駅。駅の北側には素晴らしい風光の常盤湖が広がる。湖畔全体が「ときわ公園」になっていて日本初の「石炭記念館」がある。宇部市は石炭で繁栄した都市。主に宇部の沖合の海底炭田から産出し、最盛期には年間約430万tの石炭が採掘された。常盤湖畔はそんな宇部炭田発祥の地として、記念館では宇部石炭産業の歴史を数々の展示物で伝えている。また、当時使用されていた石炭運搬車やSL「D51(デゴイチ)」も野外展示されている。

石炭記念館の櫓は東見初炭鉱で閉山に至るまで活躍した堅坑櫓を移設。現在は展望台として利用されている。

宇部市発展の礎となった石炭産業を後世に伝えるために建てられた石炭記念館。館内にはかつての海底炭坑の様子を伝えるモデル坑道や、3,000点を超える収蔵品が展示されている。

坑道は昭和30年代の宇部の海底炭坑の採掘現場を中心に再現されている。

ときわ公園内には歴代の受賞作品などが常設展示されている。

 公園内でひと際目立つタワーは採炭で活躍した堅坑櫓[たてこうやぐら]。現在は展望台になっていて常盤湖を一望でき、天気が良ければ瀬戸内海や四国の山々まで見渡せる。一周約6kmの公園は実は野外彫刻国際コンクール「UBEビエンナーレ」の会場として世界的に有名で、園内には湖を借景に、大小無数の彫刻作品が訪れた人々の目を楽しませている。“ビエンナーレ”とは2年に一度開催される美術展覧会で、会期中は世界中から大勢の人が訪れる。

宇部市の中心地を経て、「UBEビエンナーレ」の街を巡る

車窓から望む美しい瀬戸内海の水平線。(床波駅〜常盤駅間)

宇部市発展に大きく貢献した宇部興産の前身「沖ノ山炭鉱」創業者・渡邊祐策の功績を記念して、1937(昭和12)年に竣工した宇部市渡辺翁記念会館。国の重要文化財に指定され、音楽ホールとして利用されている。

 海辺近くの常盤駅から再び列車に乗り、宇部空港への最寄り駅の草江駅を通過し、山口県最南端の宇部岬駅を過ぎると、列車は北に進路を変えて東新川駅へ。次の琴芝[ことしば]駅にはあっという間で距離700m。一区間の距離が短いのが宇部線の特徴だが、東新川駅〜琴芝駅間は特に乗車時間は短く、約2分。常盤駅から約15分で宇部新川駅だ。石炭事業で人口が多く、通勤路線としての名残りなのだろう。

 宇部新川駅の周辺は工業都市・宇部の中心地だ。大手総合化学メーカー・宇部興産の企業城下町だ。その前身である「沖ノ山炭鉱」の創業者、渡邊祐策[わたなべすけさく]は将来的に石炭の枯渇を予見し、「無限の工業を起こさねばならぬ」という信念から基盤産業を模索した。その結果、炭鉱の利益を元手にセメント事業、石炭化学事業、さらに宇部線の前身となる鉄道などを興した。

宇部市の臨海部に広がる瀬戸内コンビナートの工場群の夜景。昼夜にかかわらず、24時間稼働している。

宇部市の中心市街地の玄関口、宇部新川駅舎。駅前の現代彫刻は作品名「そりのあるかたち」。

宇部市の市街地にはさまざまな現代彫刻が多数点在している。写真左上から作品名「メッセージ」、右上「ピクニック」、右下は「SEED 増殖」。

 それらが、今日の宇部発展の礎を築いた。全長500m、150店以上の店舗が並んだアーケード商店街「宇部中央銀天街」はかつての一大繁華街で、現在のメインストリートは駅前から続く平和通りだ。真締川[まじめがわ]を渡って常盤通へと続く沿道のあちこちに彫刻が展示されていて、宇部の街はまさに、“まちじゅうがギャラリー”のようなのだ。

 宇部新川駅の隣の居能[いのう]駅は、小野田線の起点駅でもある。また、現在では廃駅となっているがかつては宇部港駅まで引き込み線が敷かれ、県内陸の美祢で採石された石灰石の積み出しのための貨物車が走っていたそうだ。列車は小野田線と分岐して北上し、厚東川[ことうがわ]を渡る。まもなく終着の宇部駅に到着する。駅は市街地から少し離れるが、石炭で潤っていた頃には映画館や競馬場があって賑やかだったという。

 新山口からそう長くない距離だが、宇部線では日本の近代化を担った石炭産業の歴史に触れ、世界的なアート作品を堪能した。そして、穏やかな瀬戸内海の風景を楽しんだ旅であった。

赤間硯の里と宇部の酒蔵を歩く

「採石ができるようになるまで10年、一人前の硯職人になるのに10年はかかる」と話す硯匠の日枝玉峯さん。自信作は「龍」をあしらった作品で、「龍」は“家庭を守る”という意味があるという。

赤間硯は、原石は粘りがあり細工を施しやすいという。写真左の作品は映画『シン・ゴジラ』に小道具として使用された「梅文自然硯」。

 宇部駅から少し距離はあるが、「赤間硯の里」にはぜひ立ち寄りたい。宇部市北部に位置する岩滝は赤間硯の生産地として知られ、800年の歴史を誇り、現在もその伝統を守り続けている。国の「伝統的工芸品」に指定され、色味はチョコレートのような赤茶色で、手触りが実になめらか。原石の“赤間石”は匠自ら採石し、加工する。

現在も「赤間硯」の伝統を守り続ける硯匠の日枝玉峯さんと子息で作硯家の陽一さん。「完成までに約2週間かかります。採石はハンマーで叩いた“音”で判断します」と陽一さん。

 赤間石の特徴は、硯にする石の中では硬く、きめが細かく緻密でありながら粘りを併せ持つ。硯には最高の石だという。「採石は岩滝の住人に限られています。そうして資源を守ってきました。それゆえに後継者問題は深刻です」とこの道50年の硯匠、日枝玉峯[ひえだぎょくほう]さんは話す。かつて300人もいた硯製造従事者は、今ではわずか5人だそうだ。

国の登録有形文化財の「永山本家酒造場事務所」。1928(昭和3)年に築造された建物はかつて村役場として利用されていた。写真右は看板商品の「貴」特別純米60。

 赤間硯の里からさらに東へ行くと、宇部市で唯一日本酒を醸造する永山本家酒造場がある。創業は1888(明治21)年。厚東川沿いに蔵を構え、ひと際目を引くのが、国の登録有形文化財でもある瀟洒[しょうしゃ]な洋風建築だ。かつては、周辺には酒蔵が10軒もあって活況だったが、時代の趨勢で一軒一軒姿を消し、現在に残った蔵として宇部の郷土の酒を守り伝えている。

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