沿線点描【山陰本線】綾部駅〜豊岡駅(京都府・兵庫県)

由良川、円山川を車窓に、丹波から但馬の山間を走る。 

今回は由良川、円山川に寄り添いながら、
丹波から但馬へと山間を走る約72kmの旅。
山陰本線の綾部駅から豊岡駅を目指した。

福知山駅前に展示されるC11形式40号蒸気機関車と転車台。1944(昭和19)年から1956(昭和31)年まで旧篠山線を走っていたが、2007(平成19)年に「鉄道のまち福知山」のシンボルとして移設された。

綾部から由良川に沿って和田山へ

全長約80mの「私市円山古墳」。古墳は1600年前の由良川流域の王の墓といわれる。現在は円筒埴輪などが並べられ、史跡公園として整備されている。

1896(明治29)年に創業した「グンゼ」の歴史的資料が保存されているグンゼ記念館。金曜日のみ一般公開されている。

 旅の起点、綾部市は京都府のほぼ中央部に位置する。丹波の山々に囲まれた由良川沿いの山峡の町で、周辺は巨大な「私市[きさいち]円山古墳」をはじめ1,000基を超す大古墳地帯だ。古代には綾織を職とする「漢部[あやべ]」が定住。それが地名の由来でもあり、古くから養蚕が盛んで「蚕都[さんと]」とも呼ばれた。

 世界的な繊維メーカーの「グンゼ」の創業地であり、綾部発展の礎ともなった。「グンゼ記念館(旧本社)」をはじめ近代製糸産業を支えた歴史的な建造物群が保存され、往時の繁栄ぶりを現在に伝えている。旧社屋はドラマのロケ地にもなったり、また現在も「あやべグンゼスクエア」として観光にも貢献し、地域の活性化の拠点になっている。

 町を散策した後、綾部駅から列車に乗り込み、由良川と並走しながら西へと走る。10分ほど走ると右手車窓の小高い丘の上に、風格のある城郭が見えてくる。福知山のシンボルである福知山城だ。福知山は明智光秀ゆかりの城下町で、駅の北側には光秀を祀る「御霊[ごりょう]神社」が鎮座する。

 光秀は、度々氾濫を繰り返した由良川と土師[はぜ]川の合流地点に堤防を築いて川の流れを変えて町づくりに努め、一方で地子銭[じしせん](地税)を免除するなど良策を次々と打ち出して領民に慕われた。

明智光秀が丹波を平定した際、西国への拠点として築城した福知山城。3層4階建ての天守閣は近年の再建で、明治初期の廃城令によりその大部分が取り壊された。

石垣は築城当初の面影を残す「野面積(のづらづ)み」で、五輪塔などの供養塔も転用石として使われている。

 福知山はまた国鉄時代には福知山鉄道管理局が置かれた「鉄道の町」。山陰本線、福知山線や京都丹後鉄道が乗り入れる鉄道の拠点である。そんな鉄道の町の歴史を伝えるのが、駅前に置かれた蒸気機関車や、旧福知山駅舎とその周辺の鉄道ジオラマなどを展示している「福知山鉄道館ポッポランド」だ。地元の新町商店街事業協同組合により設立された鉄道保存施設だ。

 福知山駅から西に進み、上川口駅を過ぎると山々の緑が深くなる。蛇行する牧川と並走し、上夜久野駅を過ぎると急勾配を上りつつトンネルを抜けると兵庫県。列車は峠を越えて山を下り、円山川に架かる鉄橋を渡れば和田山駅だ。

御霊神社は町の鎮守、庶民の神社として親しまれる。神社には明智光秀に関わる3通の古文書が残されている。

新町商店街にある「福知山鉄道館ポッポランド」。貴重な資料をはじめ、ジオラマ模型などを展示している。

1912(明治45)年に設置された和田山駅の「機関車庫と給水塔」。登録鉄道文化財に指定されている。

円山川を見やりながら“日本一の鞄の町”へ

別名「虎臥城(とらふすじょう)」と呼ばれた竹田城。南北400m、東西100mの規模で、天守台の標高は353,7m。秋から春にかけての早朝は美しい雲海が見られる。(写真提供:吉田利栄)

 和田山では、“天空の城”で一世を風靡した竹田城跡に立ち寄った。映画やCMの反響で2014(平成26)年には年間約58万人もの観光客が押し寄せたそうだ。今でも秋冬の雲海の時期には多くの人たちで賑わう。

 和田山駅を出ると、列車は進路を変え、日本海に注ぐ円山川と寄り添って北へと向かう。次の養父[やぶ]駅の駅舎は、1908(明治41)年の建造で兵庫県内を走る山陰本線の駅舎では最も古く、駅名板がなんともノスタルジック。また氷ノ山[ひょうのせん]への玄関口、八鹿[ようか]駅の「八鹿駅跨線橋」は1907(明治40)年の建造。いずれも今も現役で、登録鉄道文化財に指定されている。

1908(明治41)年に開設された「養父駅舎」。竣工当時の姿を留め、登録鉄道文化財に指定されている。

八鹿駅の跨線橋。福知山駅の跨線橋として造られ、1955(昭和30)年に八鹿駅に移築された。

世界を代表する冒険家の植村直己を顕彰する植村直己冒険館。冒険で使用した装備品や冒険行の記録映像、世界各地から故郷へ送った絵はがきなどが展示されている。

 円山川を車窓に見つつ列車は但馬の山々を背景に、美しい田園風景の中を走る。江原駅で下車すると、世界的な冒険家植村[うえむら]直己[なおみ]を記念した冒険館がある。ここ豊岡市日高町は、世界で初めて「五大陸最高峰登頂」を成し遂げた植村直己の出生地で、冒険館では植村の不屈の精神とその偉業を体感することができる。円山川と並走する列車の旅も、あと2駅で豊岡駅だ。

菓子の神様「田道間守命」を祀る中嶋神社。創建は7世紀後半で、社名の由来は「田道間守命」の墓が垂仁天皇陵の池で島のように浮かんでいたことに因む。

芝居小屋の出石永楽館。1901(明治34)年に開館し、歌舞伎をはじめ寄席などが上演され、但馬の大衆文化の中心として栄えた。2008(平成20)年に大改修された。

 豊岡は古くから但馬の中心都市、“日本一の鞄の町”と“コウノトリの郷”で有名。そして「菓子の聖地」でもある。記紀神話に記される菓子の神様「田道間守命[たじまもりのみこと]」の生誕地で、命[みこと]を祀る「中嶋神社」は全国の菓子業者の尊崇を集める。毎年4月の「菓子祭」には多くの業者が参詣し、前日祭には豊岡駅通商店街は大賑わいとなる。

 豊岡を訪ねたついでに出石[いずし]町まで足を延ばした。小さな城下町の出石は“但馬の小京都”と称される。江戸時代の風情を残した軒の低い商家が続く町並みは旅情いっぱいだ。町の方々で目につくのが名物「出石そば」の看板。約50軒ものそば屋が味を競い合っている。そして、100年以上の歴史を持つ「出石永楽館」は、現地に現存する劇場としては日本最古とされる。

 丹波の綾部から但馬の豊岡まで約90分の乗車時間だが、途中下車するたびに“発見の旅”となった。

“カバンストリート”のある町、豊岡

豊岡鞄を取り扱う「Toyooka KABAN Artisan Avenue」のおしゃれなショールーム。3階の「Toyooka KABAN Artisan School」で、鞄職人の若手育成を行っている。

豊岡駅構内にある鞄の自販機。鞄の町・豊岡ならではのユニークさだ。

翼を広げたコウノトリと豊岡の伝統工芸、柳行李(やなぎごうり)をモチーフにしたデザインの豊岡駅。

 豊岡駅の構内の自動販売機、よくよく見ると、なんと鞄の自動販売機。驚いた。さすが、“日本一の鞄の町”だ。駅前から続く豊岡駅通商店街には市役所や旧銀行を改装したレトロな建物が並び、地域振興の拠点になっている。

カバンストリートにある「Toyooka KABAN Artisan School」では、豊岡鞄職人の後進育成に努めている。主任講師を務める竹下さんは豊岡出身で、「私が学生の頃はこの通りに鞄屋は数店でした。今はこんなに盛り上がっています」と話す。

 商店街を右に折れると約200mの「カバンストリート」と呼ばれる通りに出る。鞄屋が並び、鞄型をした自販機や、鞄を模したベンチもある。鞄の関連企業が約150社もあるという。豊岡で若き鞄職人を育成する専門学校「Toyooka KABAN Artisan School」で指導する竹下嘉壽さんは話す。「後継者問題の不安はないですね。毎年全国から約10名が入学し、一年で技術を習得し、卒業すると豊岡に残って鞄づくりに従事します。世界に羽ばたいてくれることを楽しみにしています」。

特別天然記念物コウノトリの保護・増殖に取り組むコウノトリの郷公園では、コウノトリを野生に帰すためにさまざまな研究と試みを行っている。
(写真提供:豊岡市)

 羽ばたくといえば、豊岡ではやはりコウノトリ。一度は絶滅した日本のコウノトリだが、「コウノトリの郷公園」には約50羽、ほかに放鳥した“野外コウノトリ”も100羽以上で、年々その数が増えているという。ちなみに豊岡駅の駅舎はコウノトリの羽ばたきがモチーフになっているそうだ。

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