有力鉄師、田部家が経営した「菅谷たたら」。たたら製鉄に関わるさまざまな役割の人が山峡の集落で共同生活した。たたら操業は大正期で終わったが、現在も数世帯が暮らす。

特集 出雲國たたら風土記〈島根県安来市・奥出雲町・雲南市〉 たたらの古里、出雲へ

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神話で伝えられる「出雲のたたら」

船通山を源流に出雲平野を蛇行し、多くの支流を集めて流れる斐伊川。古代より流域では鉄穴流しが盛んに行われ、度々氾濫した斐伊川が八岐大蛇の正体だという説がある。

 出雲平野を潤す斐伊川[ひいかわ]を遡って、すでに中国山地の山懐にいる。上流の船通山[せんつうざん](鳥上山[とりがみやま])は、『古事記』に記される「肥河上[ひのかわかみ]、名は鳥髪[とりかみ]の地」。神話では素戔嗚尊[すさのおのみこと]はここに降臨し、八岐大蛇を退治し、その尾から現れた天叢雲剣[あめのむらくものつるぎ]を得て、奇稲田姫[くしなだひめ]と結ばれて睦まじく出雲国を治めたと説いている。

 流域には神話にゆかりの場所が随所にある。そして斐伊川こそ八岐大蛇の正体だとの説がある。水系は「八つの尾根、八つの谷にまたがる」ほど広く、上流では古くから山を削って砂鉄を採り、土砂を流して川は氾濫した。その暴れる川を八岐大蛇に例え、天叢雲剣は上流の鉄の文化を象徴しているという。

『金屋子神乗狐掛図』たたらの守護神として崇められている。初めは高天原(たかまがはら)から播磨に降臨、のちに出雲の地に移り、製鉄を教えたと伝わる。 (和鋼博物館蔵)

 宍道湖に注ぐ河口近くの斐伊川は、土砂が鱗状の砂州を作って奇怪な様相を呈し、河道は身をうねらせる八岐大蛇に見えなくもない。出雲は、神話と現実の風景が時に重なる場所である。そんな不思議を覚えつつ、中国山地に分け入り、雲南市吉田町の菅谷[すがや]を目指した。そこには、たたら場の風景が昔のまま残っている。

 たたらとは、砂鉄と木炭を炉の中で燃焼させ、日本刀の鍛錬に不可欠な玉鋼[たまはがね]などの高純度の鉄をつくる日本古来の独自の製鉄法をいう。出雲における製鉄の記録は、733(天平5)年編纂の『出雲国風土記[いずものくにふどき]』に記述がある。少なくとも1300年以上も前から鉄づくりが行われていたことが分かっている。

 菅谷は隠れ里のような集落だ。人里離れた山峡にあり、冬には1m以上の積雪となる。集落全体を「山内[さんない]」という。正式には「菅谷たたら山内」と呼ばれ、集落には製鉄施設の「高殿[たかどの]」がある。栗材のこけら葺[ぶき]の大きな屋根の建物で、施設長の朝日光男さんは「この高殿は、往時の姿を留める、現存する日本唯一の高殿です」と説明した。国の重要有形民俗文化財である。

菅谷たたら高殿の内部。高殿の登場でたたら製鉄は革新的に進化する。天候の影響を受けることなく連続的に生産が可能になり、生産量は飛躍的に増えた。左右に設置された天秤鞴(てんびんふいご)で風を送り、中央の炉で砂鉄と木炭を燃焼させると素鋼塊(そこうかい)ができる。

「菅谷高殿」施設長の朝日さんは、菅谷の山内生まれだ。

炉の高さは約1.2mだが、地下構造の深さは約4mもあり、炉内の防湿と高温を維持する装置、水蒸気爆発を抑える仕掛けが施されている。

 高殿の天井は仰ぐほど高く約9mもあり、正面の神棚には、たたらの守護神「金屋子神[かなやごしん]」が祀ってある。神聖な冷気が支配する広い空間の真ん中に土で炉が築かれている。この炉に砂鉄と木炭を投入し、天秤鞴[てんびんふいご]で休みなく風を送り燃焼させる。やがて炉の底にけら[けら]という素鋼塊[そこうかい]ができる。「一度の操業は3昼夜ぶっ通し。これを一代[ひとよ]と言います」。

 鉄づくりの最高責任者は「村下[むらげ]」と呼ばれる。その下に村下見習い、炭を装入する炭焚、炉に風を送るのに天秤鞴を交替で踏み続ける番子[ばんこ]。「代わり番子」はこれに由来するといわれる。「鉄穴流し」と呼ばれる、山を切り崩して砂鉄を採取する役、炭焼きを専門にする山子[やまこ]など、たたら製鉄に関わるさまざまな人々が山内でともに暮らした。

 「家族を含めて多い時には100人以上が生活していました」と話す朝日さん。山内の暮らしの景観がそっくり残っていることが貴重だ。この菅谷たたらは江戸時代から大正時代まで運営され、通算「八千六百代」、8,600回の操業をしたそうだ。最盛期は江戸時代で、全国に流通する鉄の約8割が菅谷たたらなど出雲地方でつくられたという。

 中でも生産量で圧倒したのは、「鉄師[てつし]御三家」と称された田部[たなべ]家、櫻井家、絲原[いとはら]家。鉄師とは、たたら製鉄の経営者で、江戸時代、松江藩は「鉄方御方式」を定めて9家を鉄師とした。その筆頭が田部家で、菅谷たたらを経営したのも田部家。菅谷から山を下った吉田町は「田部家の有したる町」と謳われた。

 20棟もの白壁土蔵群は見る者を感嘆させる。たたら製鉄を出雲の一大産業に育て、全国を相手に取引をした有力鉄師の往時の栄華を理解するには十分である。

雲南市吉田町の田部家土蔵群。製鉄には木炭を大量に必要とするため、田部家は山林王ともいわれた。

菅谷たたら山内でつくられた玉鋼。純度の高い玉鋼は強くて粘りがあり、折れにくいので日本刀に不可欠の原料だ。

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