エッセイ 出会いの旅

有栖川有栖
1959年、大阪生まれ。小説家。大学時代は同志社大学推理小説研究会に所属し、機関誌「カメレオン」に創作を発表。2003年『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞を受賞。2008年には『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞を受賞した。精緻なロジックを積み重ね、構築した世界そのものをひっくり返してみせる鮮やかな手腕と、物語性豊かなその作品は、世代を問わず常に読み手を魅了し続けている。主な著書 『双頭の悪魔』(創元推理文庫)、『46番目の密室』(講談社文庫)、『鍵の掛かった男』(幻冬舎)などの小説作品のほか、『作家の犯行現場』(新潮文庫)、『正しく時代に遅れるために』(講談社)、『本格ミステリの王国』(講談社)などのエッセイ集がある。

山陰本線びいき

 鈍行列車に乗り、車窓風景をぼんやり眺めながらどこまでも運ばれて行くような旅が好きだ。

 駅に停まるたびに周辺をきょろきょろ見渡し、少しずつ入れ替わっていく乗客たちの会話の断片が耳に入ってくるのを味わう。

 そうしていると、とても贅沢な時間の使い方をしているように感じる。

 鉄道旅行の楽しさに目覚めて、大学時代からあちらこちらに一人旅をした。本線から分岐したローカル線の終点まで行って引き返すのをよくやったが、何時間も同じ列車に揺られ続けるのも大好きだった。

 最高だなぁ、と思ったのが山陰本線。大学のサークルの仲間と夏休みに萩・津和野方面を旅した際、萩から下関まで各停で移動したのだけれど、車窓を流れゆく日本海や白砂青松を愛でながら、みんな声を揃えて「ええなぁ」と顔をほころばせたものだ。一つずつ順に現われては駅名標も恰好の話のネタで、「次の駅は〈こっとい〉か。どんな字を書くんやろう?」「ええっ、〈特牛〉。これは判らんわ!」などと盛り上がった。

 一人旅で山陰を巡ったのはその何年後かの春。のどかな季節で、駅で停まるとヒバリの声がよく聞こえた。単線だから上りと下りが行き違うための時間待ちが多く、時には30分近くも列車は動かない。それならば、と駅員さんに断わって改札口を抜け、駅の近くを散歩することもできた。

 すっかり山陰本線のファンになった私が、できるものなら乗ってみたい、と思ったのが往年の824列車である。ディーゼル機関車が牽引する客車列車で、門司駅を午前5時半より前に出発し、18時間半ほどかけて福知山駅に着くという普通列車だ。

 夜明け前から日付が変わる少し前まで走り続けても京都駅に着かないのだから、浮世離れした旅ができたに違いない。いつか乗り通してみたい、と思っているうちになくなってしまった。あれならば山陰本線を(端から端までではないが)丸かぶりできたのに。

 山陰本線の魅力はたくさんある。ずっと海に沿って走るわけではないが、区間によっては海岸線をなぞり、紺碧の海と大小様々な岬を見せてくれる。保津峡、余部鉄橋、大山、宍道湖……と素晴らしいヴュー・ポイントが沿線に散らばっているし、城崎、鳥取、米子、松江、出雲、石見、萩など観光に訪れたい町や温泉も多い。それに加えて、乗っても乗っても終わらないほど長大なのがいい。

 現在、新幹線を除いて日本で一番長い路線は山陰本線だということを最近知った。東北本線には負けるだろう、と思ったのだが、あちらは新幹線の延伸によって第三セクター化した区間があるため、JRの路線としては縮んでしまったのだとか。それを聞いて、山陰本線のありがたみが増した気がする。

 山陰本線びいきの私だが、あまりに長いのでまだ乗っていない区間がかなりある。大好物を惜しみながら食べるように、何度かに分けて乗るつもりだ。

 と思っていたら、JR西日本が2017年から営業運転の開始を予定している豪華列車〈トワイライトエクスプレス 瑞風[みずかぜ]〉が山陰本線を走ると知り、大喜びしている。

「おや、あなたは鈍行列車が好きなんじゃないのか?」と言われてしまいそうだが、誰だって乗りたいでしょう、〈瑞風〉。大阪・京都駅を出て下関駅をめざすコースならば、車中で一泊しながら山陰本線を走破できるようだ。ずーっと山陰本線の線路の上にいられるではないか。

 思ってもみなかった列車がデビューすることにわくわくしているが、それはそれとして、鈍行に乗っての山陰本線の全区間走破もいつか成し遂げたい。〈瑞風〉に乗っただけでは、夜中に通る区間の風景を見逃してしまう。

 こんな調子だから、私は一生、山陰本線を楽しめそうだ。

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