旬膳暦

金時人参

大阪市住吉区・東住吉区

寿ぎの食卓を彩るなにわ伝統の冬野菜

「天下の賄[まかない]所」と呼ばれた商都大坂。
諸国の特産品の集積地として賑わい、独特の食文化を育んできた。
味にうるさいといわれる大阪人は、地場の野菜栽培にもこだわりを見せた。
色鮮やかな紅色、長い根身が特徴の金時人参もその一つ。生粋のなにわ育ちとして、冬の食卓を彩ってきた。
郊外へと生産の場が移りゆく中、大阪市街地の畑に実る伝統野菜の旬を訪ねた。

お雑煮やおせち料理など、正月料理には金時人参の赤が欠かせない。煮崩れもしにくく、祝いの膳を飾る野菜として重宝されてきた。

大都市大阪に根ざした地野菜

 その昔、大阪平野は淡水と海水が入り混じる湖であった。やがて淀川や大和川が運ぶ土砂が堆積し、野菜の生産に適した砂地土壌の地が築かれた。さらに、江戸期には大阪湾沿岸の河口周辺部で新田開発が行われ、その規模は現在の大阪市の3分の1にあたるとされる。今、巨大商業施設が立ち並ぶ難波や天王寺などの市街地も、当時は「畑場八ヶ村」と呼ばれる主要な野菜の生産地。これらの村々では、その土地の自然条件を生かした地野菜が栽培され、大根は田辺、蕪[かぶら]は天王寺、越瓜[しろうり]は玉造黒門というふうに、名産地が生まれていった。

 金時人参も、農村の記憶を今に伝える生粋の地野菜。江戸時代の書物『摂津名所図会大成』(1855年)には、「名産胡蘿蔔[こらふく]※1、木津村より出るもの色うるわしく美味なり、隣村難波、今宮、勝間[こつま]にも多く出せり」とあり、現在の浪速区が大生産地であったことが分かる。根身は長さ約30cm、その名が示すように深紅色の外見が特徴だ。長根の実をまっすぐに育成するには、砂質土壌が適していることから、昭和30年代には市内西部の加賀屋新田一帯が代表的な産地となる。1960(昭和35)年刊行の『大阪市農業誌』に、「もっとも誇るべき特産の一つ」に挙げられるほど、大阪の代表作物であり、特にお正月の雑煮や煮しめには欠かせない冬の味覚であった。しかし、全市的に市街地化が進む中、加賀屋新田の畑も同じ砂質土壌の泉州地域へと移っていった。

※1)胡蘿蔔[こらふく]=せりにんじんとも読む。16世紀頃、原産地のアフガニスタンから中国を経て日本に伝わった東洋系にんじんを指す。

住宅地の畑で育つなにわ伝統の味

 大阪市では、およそ15年前から、かつての大阪の食文化を支えてきた地野菜を「大阪市なにわの伝統野菜※2」として認証し、生産はもとより加工品や料理店での取り扱い推進に取り組んでいる。認証の条件は、概ね100年以上前から市内で栽培されてきた野菜のうち、現在も市内で栽培され、種子の確保が可能であること。市内にふるさとを持つ、8種が伝統野菜に認証されており、金時人参もその一つだ。都市化とともに栽培しやすい改良品種への移行もあって、市内産は生産、流通ともに途絶える中、今、数軒の地域農家がその伝統的な味の復活に尽力している。

 大阪市東住吉区、大阪を代表する総合公園の長居公園からほど近い住宅街。この地で代々農業を営む松本皓市[こういち]さんは、家々に囲まれた圃場[ほじょう]で伝統の味を守る。土にこだわり、有機肥料で育てているのは、金時人参をはじめとする旬の伝統野菜。原種のため病気にかかりやすく、中でも金時人参は栽培が難しい。肥料が多いと表面に亀裂が入り、土の中に塊があっても、すらりとした根身に育たないそうだ。こうした短所を補うため、8月下旬の種蒔き時期の畑の乾き具合を見極め、発芽後の成長過程においても肥料が分散して吸収されるよう、ある程度密生させてから間引きのタイミングを見計らう。手塩にかけた金時人参は、生でもやわらかく、甘み・香りに富む昔ながらの味という。旬は、12月〜2月。大阪の街に本格的な寒さが訪れる頃、深紅色の実はその味わいを深めていく。

※2)「大阪市なにわの伝統野菜」に認証されているのは、天王寺蕪、田辺大根、金時人参、大阪しろな、毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜、勝間南瓜、源八もの(芽じそ)の8種。(平成28年1月現在)

「その土地の風土に合ったものが一番おいしい」という松本さん。住宅地に広がる5400㎡の畑で、地産地消のための試行錯誤を続けている。

やわらかな肌を傷つけないよう、堆肥にまざった藁や籾殻(もみがら)を取り除くなど、手間暇かけた自慢の土から伝統の味が生まれる。

生でもやわらかく、甘みがあり、軸も葉も豊富な栄養価を誇る。人参葉のかき揚げ、大根とのマヨネーズ和えなど、素材の持ち味が存分に味わえる料理の数々。(松本さんの妻のアイ子さんによる手料理)

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