エッセイ 出会いの旅

小林 聡美
1965年生まれ。東京都出身。女優。主な出演作として、映画『かもめ食堂』『めがね』『紙の月』。テレビ『すいか』『パンとスープとネコ日和』など。また『散歩』『読まされ図書室』など著書も多数出版されている。

一人旅は見た

 旅は道連れというように、旅の感動を分かち合える仲間がいれば最高である。しかし、働きざかりの友だちは、そうホイホイと休日はとれない。そんな忙しい友だちを待っていたら、いつまでたっても旅なんかできないのである。だからサビシく(ホントはちょっと気楽に)一人旅をすることになる。自分で目的地を決め、宿を予約し、切符を買って出かける旅は、ちょっと緊張する。特に初めての場所は。そして、その緊張もまた旅の楽しさなんだろう。

 そんな緊張感をもって出かけたのは広島県の宮島。世界遺産の嚴島神社である。広島へは何度かでかけたことがあったが、嚴島神社は初めてだ。広島駅から宮島口駅まで山陽本線で30分弱。そこからフェリーに乗れば約10分で宮島桟橋、あとは参道が延びているらしい。

 平日の朝の山陽本線は乗客もまばら。のどかな雰囲気である。間違えることなく無事に宮島口駅で下車し、徒歩5分ほどでJRのフェリー乗り場に到着。ほどなくフェリーが到着すると、午前中らしいほどほどの観光客らがざわざわと乗り込んだ。JRのフェリーは大鳥居の近くを通るというので、観光客らは、デッキにでてワイワイと楽しげである。

 そんな中、観光客とも住民ともいえない、雰囲気のある一人の女性が、客室の先頭の座席に腰かけてすっと前を見ていた。長い黒髪を後ろに結んで、明るいグレーのコート、仕事鞄のようなややごつい黒革のバッグ、ヒールのある靴。さりげなくお洒落ないでたちである。宮島で仕事かなぁ、などと、伺い見ていると、鳥居が近づいてきたのか、デッキのほうが色めき立っている。わー、本当に近い、そして大きい!フェリーが桟橋に着くと、みなぞろぞろと宮島に降り立った。あの女性も格別高揚した様子もなく、すすっと下船し、どこかへ消えていってしまった。

 おっとりした鹿たちに出迎えられ、右手に海を見ながら参道を歩いて行くと、海に浮かんだ嚴島神社の全貌が現れた。わーっ。なにこの雰囲気。神社全体に漂うオーラ。手水で手と口を洗って、いざ、嚴島神社である。足の下でチャプチャプいっている波音と吹き抜ける風、海に突き出た桟橋の先には、大きな大きな空の下にこれまた大きな大きな鳥居が足元に波を漂わせている。こんな大らかな風景の中に立っていると、自分の中にも風が通り抜けるような気がして、背筋が伸びる。

 帰りは穴子飯を食べて、温泉旅館の日帰り入浴である。参道の中ほどにあるその旅館は、表の通りから少し奥まっていて、そこで風呂に入れるなんて知らなきゃまず気が付かない。昼下がりの女湯の下駄箱には先客のお洒落な靴がひとつ。私よりやや若い女性がしみじみと湯船に浸かっていた。きっとデートかなんかで、彼氏は男湯なのかな、などと妄想しつつ、私は彼女から少し離れた位置で手足を伸ばした。充分温まった私があがっても、その先客はまだ静かに湯船に浸かっていた。

 お土産屋さんをひやかしたり、お寺をのぞいたり、細い路地を抜けたりして、帰りの桟橋にたどりついた。帰りのフェリーに乗る観光客たちの表情も満足げである。赤い大鳥居がどんどん遠くなる。宮島口にフェリーが到着し、乗客がタラップを降りる。私もこけないように注意して降りる。すると、そんな足元の中に、見覚えのある靴が。風呂場に揃えられていた靴である。驚いて、顔をあげると、その人はなんと行きのフェリーで見かけた美しい女性だった。風呂にいたのは彼女だったのだ。私と彼女は、まったく同じ時間を宮島で過ごして帰ってきた。彼女は行きと同じようにクールで、観光客とも住民ともいえない雰囲気だった。帰りの電車も一緒だった彼女は、広島駅で降りると、すっかり街の人になって雑踏の中に消えていった。

 彼女は宮島に何しにでかけたのか。一人旅?それとも仕事をさぼって風呂に入りに?一足の靴からシーンがつながる、ちょっとしたミステリ気分である。ああ、この興奮を誰とも分かち合えないなんて!なんたる一人旅!いや、もしかして一人旅だからこそ、でくわしたミステリだったのかもしれない。

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