イカ釣り漁船の漁り火は、夏から晩秋にかけての浦富海岸の風物詩。出漁の多い夜は水平線上横一線に漁り火が並び幻想的だ。

特集 因幡・浦富海岸 田後

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風光明媚な浦富の海、田後の佇まいと人情

 風のない午後の田後の港はまったくのどかで、鳶が輪を描いて宙を舞い、猫が突堤で昼寝をしている。そんな港に、一見、場に不似合いな2〜3人連れの女の子たちが、平日なのに後から後からやって来る。実は、『Free!』というテレビアニメ番組の舞台として岩美町は全国的に知られ、田後はアニメ好きの彼女たちの「聖地」になっているのだ。

 とりわけ、アニメの背景として田後港の周辺が克明に描かれ、その場所を一つひとつ「聖地巡礼」するのだそうだ。展望台で出会った女の子は「はい、東京から来ました。この場所に立てて感激です!」。海外からの人も珍しくなく、確かにこれは“異変”。「最初は戸惑いましたが、若い人たちが訪ねてくれるのはうれしいことです」と、ハタハタを干す手を休めて話してくれたのは井上美千代さんだ。

田後公園展望台からの眺めは絶景だ。海は輝くコバルトブルー。写真右側に見えるのが田後港。この展望台も、アニメファンの“巡礼”スポットの一つだ。

 田後漁協女性部117人を束ねる部長の井上さんは、父も兄も漁協組合長を務めた網元で、生粋の田後の人。女性部では「地元の魚の美味しさを伝えたい」と田後ブランドの加工食品を製造・直売するほか、郷土の料理講習会やイベントにも参加して田後のアピールに積極的に取り組んでいる。手作りの人気商品は一夜干し。スルメイカ、ハタハタ、カレイ。天日で干す昔ながらの郷土の伝統の味だ。

 特に田後の冬の食卓に欠かせない「スルメの麹漬け」は珍味。酒の肴には格別だ。「田後ではどの家でも代々伝わる母の味です。作ったらどこの家でも近所にお裾分けするんです。今風にいえば、大事なコミュニケーションツールです」と井上さんは照れ笑いした。

漁協女性部が天日干しで作るスルメイカの一夜干し。一般的にはイカを暖簾(のれん)干しにするが、田後では簾(すだれ)の上に並べて干すのが伝統だ。

スルメイカのほか、干しカレイに干しハタハタも「田後のおかあちゃん」ブランドの人気商品。田後の家庭で昔から継がれた「干し加減、味加減はまさに郷土の味」と、部長の井上さん(左写真画面右端)は語る。

岩美町の「地域おこし協力隊」の公募で移住し、民宿を営む小林さん(左)は岩美の岩井温泉生まれの作家、尾崎翠の愛読者。間淵さんは根っからの海好きダイビング好きで、二人とも最高の居場所を見つけたと話す。

 田後の魅力はいろいろとある。浦富海岸の景観美、透明度の高い海、それに世界ジオパーク。海水浴、マリンスポーツ、ジオツアーなどで訪れる人は少なくないが、岩美町には、地域に根付く活性化という課題がある。それに取り組んでいるのが「地域おこし協力隊」。総務省の肝いりで、いくつかのプログラムがあるが、その一つに廃業した民宿の再生がある。最盛期に約200軒あった民宿は今やわずか30軒。町の公募で、何人かがすでに岩美町に移住している。

 白砂の浦富海岸に「旅人の宿NOTE」を営む小林晶[あき]さんは、時間に追われるOL生活に辟易して大阪から移住を決めた。手作りのパンフレットに「海がきれいだったから」とあるのは、ご本人の素朴な思いなのだろう。岩美町出身の昭和初期の作家、尾崎翠を敬愛する。「尾崎さんの感性に惹かれてという部分もありますが、なんといっても海が美しいし、人もいいですから。海を眺めて暮らせるのがいいです。聖地巡礼の方も利用してくださいます」。

 間淵武志さんはその浦富の海にかねてより魅入られていた。「こんなきれいな海はちょっとほかにない。透明度は25mもあるんです。ダイビングでよく通っていたんです」と公募に応募し、廃業寸前の民宿を引き継ぐために大阪から移り住んだ。「大阪の家族と離れて単身移住ですが、そのうちこちらに呼ぶつもりです」。真っ黒に潮焼けした顔がはつらつとして、自分の居場所を見つけたという感じだ。

 浦富の海は、宝石を散りばめたように陽の光に照らされて輝いている。弓なりに続く浜は白く、空と海の青さとのコントラストでいっそう眩[まぶ]しい。高台の展望台から田後港を眺めると、イカ釣り漁船が波紋を残して一艘、また一艘と港を出て行くのが見えた。

浦富海岸は荒々しい顔と、白砂の浜の優美な顔がある。写真画面左の山の下に見えるのは、間淵さんが営む民宿「龍神荘」。

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