沿線点描【伯備線】倉敷駅から新見駅(岡山県)

工都・倉敷から高梁川の清流に沿って中国山地の山ふところへ。

伯備線は岡山県の倉敷駅から鳥取県の伯耆大山駅までの約138km。
今回は備中の倉敷駅から新見駅までの約64kmを、高梁川に沿って中国山地に分け入った。

列車は中国山地を流れる高梁川上流を渡る。(井倉駅〜石蟹駅)

「天領」の町から日本の原風景、吉備路をゆく

 江戸時代、中国山地から瀬戸内に注ぐ高梁川には高瀬舟が往来し備中国の経済を大いに発展させた。この高瀬舟に代わって現在は伯備線が山陽と山陰を結ぶ「陰陽連絡線」として交通の要となっている。

 伯備線の旅の起点は倉敷駅。駅の南の一角には倉敷美観地区がある。「天領」だった倉敷は米や綿花など物資の集散地で、明治期には綿加工もする「工都」としても栄えた。倉敷川畔には白壁となまこ壁の蔵や瀟酒な町家が整然と建ち並び、この街の歴史を今に伝えている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される柳並木の通りは実にノスタルジックだ。

倉敷美観地区には、倉敷川沿いに柳並木と白壁の蔵や町家が建ち、江戸時代の情緒を残す。

 倉敷駅から一路、総社[そうじゃ]駅を目指す。総社は、古代、現在の岡山県全域と広島県東部など広範囲を支配し、大和政権に並ぶ勢力を誇った吉備国の中心。その後、吉備国が大和政権の支配下に入り、備前、備中、備後などに分割されてからは、総社に備中国の国府が置かれた。高梁川が潤す肥沃な田や畑の作物、中国山地で採取される鉄、それに瀬戸内からは塩や海産物がもたらされて、古くから繁栄を極めた土地だ。

 吉備路には全国4位の規模を誇る巨大な「造山[つくりやま]古墳」など、無数の古墳や史跡が点在する。桃太郎の鬼退治伝説も、この地に残る古代の逸話に由来するという。吉備路のシンボルの備中国分寺は江戸時代の再建で、穏やかな田園風景の中に颯爽と聳え建つその姿は日本の原風景そのものを眺めているかのようだ。地元の人が言うには、「地面を掘り返すと古代が現れる」、それが総社だ。

 総社は画聖、雪舟[せっしゅう]の生誕地である。駅から歩いて約30分の「井山宝福寺」は雪舟が幼年時代を過ごした禅宗寺院で、柱にくくりつけられた雪舟が、足の指先と涙でネズミの絵を描いたという逸話で知られる寺。「雪舟の頃の建物はもう残っていませんが、作品はいくつか残っています」と話すのは副住職の小鍛治一圭[こかじ いっけい]さん。

 総社駅から再び伯備線の旅を続ける。山々を縫ってうねうねと流れる川に沿って列車は進む。ほどなく美袋駅だ。「みなぎ」と読むひなびた木造駅舎は大正期の建物で、国の登録有形文化財だ。さらに先へと進むと流れは渓流となり、周囲の景観はいよいよ深山の趣が濃くなってくる。そうして総社駅から約25分で備中高梁[びっちゅうたかはし]駅に到着した。山峡の城下町だ。

吉備路に建つ備中国分寺五重塔。県内唯一の五重塔の高さは約34mで、国の重要文化財に指定されている。

井山宝福寺副住職の小鍛治一圭さんは、「お寺は誰もが出入りするような場所でないといけません。法事や葬式だけではなくて、もっと皆さんに活用してもらいたいですね」と話す。井山宝福寺では、要予約で座禅体験ができる。

「1925(大正14)年に建てられた木造駅舎の「美袋駅」。飴色になった姿は、なんとも風格がある。

井山宝福寺には画聖、雪舟が涙でネズミを描いた逸話が残る。伝・雪舟の作品は紅葉の頃に、三日間だけ公開される。

美しい山城と城下町の佇まいを残す備中高梁

高梁の街を抜け、臥牛山の麓を走る列車。(備中高梁駅〜木野山駅)

 備中高梁は「備中の小京都」といわれるほど、町の佇まいがとても美しい。高梁川の水運で栄えた町の歴史は鎌倉時代に遡る。駅のすぐ傍に聳える臥牛山[がぎゅうざん](430m)の山頂には、現存する山城では全国随一の備中松山城があり、“天空の城”としても知られている。

 木造の天守閣は国指定重要文化財で、山上から山麓に広がる高梁の城下町が手に取るように見える。武家屋敷や古い格子の町家や寺院が点々とあり、往時の面影を現在にとどめている。御殿の御根小屋跡地には高梁高校が建っているが、荘重な石垣が残っている。

臥牛山頂上に建つ備中松山城。秋から冬にかけて天守の周囲に雲海が発生する「天空の城」でも知られる。(写真提供:高梁市役所)

臥牛山の麓に武家屋敷が250mにわたって並ぶ石火矢町ふるさと村。路地の両脇には白壁の長屋門や土塀が続き、通学路としても利用される。

 高梁川の支流、紺屋川[こうやがわ]が町の中を流れ、畔には桜や柳の並木が続き、川のせせらぎが実に心地良い。そんな紺屋川筋にある県下でも最古の高梁教会堂は街のシンボルの一つだ。「高梁の街って佇まいがいいでしょ。子どもも大人も一緒になって町を掃除し、城下町の佇まいを守っています。町を愛する人々の思いも美しいでしょ」。高梁教会に牧師として赴任して17年目の八木橋康広さんはそう話した。

 さて、伯備線は備中高梁駅から先は単線になる。方谷[ほうこく]駅では列車の「待ち合わせ」で一時停車した。車内アナウンスはこれまで「行き違い」と案内していたが、特急「やくも」を利用して出雲大社に縁結びを願う人たちにとって「行き違い」は不適切というお客様の要望で、昨年から「待ち合わせ」に変更したそうだ。この方谷の駅名は人名が由来で、駅ができた当時はまだ珍しい例だった。その人物とは、幕末に備中松山藩を再建した山田方谷だ。

 方谷駅を発車した列車はいくつものトンネルを抜け、岩肌から滝が流れ落ちる井倉峡を見ながら進む。伯備線を代表するビューポイントの一つだ。間もなく列車は今回の旅の終着、中国山地のほぼ中央の新見[にいみ]駅に到着する。新見もかつて高瀬舟の発・終着点で栄えた町で、通りには賑やかだった頃の名残が僅かに残っている。倉敷から約75分、それは高梁川と高瀬舟の歴史を辿る旅でもあった。

1889(明治22)年に建てられた高梁教会堂。21代目の牧師を務める八木橋康広さんは、「この会堂はプロテスタント教会としては全国でも2番目に古く、教会員と高梁の町の方たちの献金によって築かれた高梁のシンボルです」と話す。

自然の神秘、井倉洞に感嘆する

直立約240mの石灰岩の絶壁が高梁川に映える井倉峡。井倉の滝の落差は約72mもある。

 伯備線沿線の奥備中にはカルスト台地が点在している。なかでもその代表は井倉峡にある井倉洞。井倉峡は直立約240mの絶壁が屏風のように連なって大迫力。急峻な岩壁からは轟々と滝が高梁川へと流れ落ちる。かつてこの地を訪れた歌人、与謝野晶子は「切ぎしは ひところすぐに 天そそり もみじも身をば うすくしてよる」と詠んでいるように、紅葉の頃は渓谷美が極まる屈指の景勝地だ。

 井倉洞は峡谷の奥にあって、一歩足を踏み入れると、そこは驚きの別世界だ。夏でも肌寒い洞内は神秘的であり、また怪物のようにも見える鍾乳石。40億年も前に海の底に溜まった珊瑚や微生物のカルシウムが石灰岩となり、長い時間とともに水に溶け、奇妙奇怪な姿を造り出した。

 全長約1,200m、高低差約90mの鍾乳洞の光景は、「くらげ岩」「銀すだれ」「三段峡」などと名付けられた奇観が次々と現れる。圧倒的な自然の脅威、神秘、そして幻想的。約1時間、井倉洞の奇観を巡っていると、ちっぽけな人間の存在を忘れてしまうような不思議な気持ちになる。ぜひ立ち寄りたい伯備線沿線のスポットである。

長い年月をかけ地下水が石灰岩を少しずつ浸食することで造られた鍾乳石。洞内には約30の奇石、怪石があり、それぞれに名前が付けられている。写真は「見返りの池」。

高低差約90mの鍾乳洞には、幾重にもなる鍾乳石の造形美が広がる。

井倉洞の駐車場には、昭和40年代まで伯備線で走っていたD51形蒸気機関車が展示されている。

ページトップへ戻る
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ