沿線点描【北陸本線】富山駅から糸魚川駅(富山県・新潟県)

残雪の立山連峰、劔の峰々を借景に“海道”をゆく

北陸本線、富山駅から新潟県の糸魚川駅まで79キロメートル。富山湾に沿って列車は、新潟県の糸魚川を目指した。富山湾と一方に北アルプスを眺めて走る絶景の旅だ。

富山駅の北側の富岩運河環水公園は街のオアシス。北前船の港町、岩瀬まで運河クルーズが楽しめる。

富山湾の神秘と不思議な蜃気楼

 魚介の宝庫で「天然のいけす」と形容される富山湾、立山や劔岳の雄大な風景、そんな自然がいっぱいの富山駅が今回の旅の起点。駅は2015年の首都圏と北陸を結ぶ北陸新幹線の開通に向けて工事が急ピッチに進む。

 富山といえば「越中富山の薬売り」。日本国中を行商に歩いた売薬さんの歴史は300年を数え、藩政時代には富山藩の財政を支えた。現在でも薬は特産品で、観光の土産にもなっている。富山駅を出発した列車は富山湾に沿って走る。

車窓に広がる富山平野の田園風景。(東滑川駅から魚津駅)

富山駅前の「富山のくすりやさん」の像。柳行李を背負い全国を行商して歩いた。

 車窓の右には、思わず「うおっ」と叫んでしまう風景が展開する。残雪の立山連峰の3000m級の峰々が屏風のように連なり、観る者を圧倒する。乗客も一斉に右の車窓に釘づけだ。それとは対照的に、山麓に広がる富山平野の田園風景はなんとものどかで穏やかだ。

 滑川[なめりかわ]駅まで約15分。富山湾で水揚げされる豊富な魚介の中でも特にホタルイカで知られる地域だ。駅前の「ほたるいか通り」を抜けると、国の天然記念物にも指定されている「ホタルイカ群遊海面」があり、春になると産卵のためにおびただしい数のホタルイカが集まる。青白く発光するホタルイカは蛍の10倍もの光を放つそうで、その光景は実に幻想的で「富山湾の神秘」と呼ばれる。

 神秘と呼ばれるホタルイカを口にするのは少々気が引けるが、その食感はご当地ならではの格別の旨さ。まさに“きときと”だ。「とれとれの新鮮」を富山ではそう言う。

 滑川から魚津の沖合には運が良ければ蜃気楼を見ることができる。蜃気楼は大気中の温度差によって光が屈折し、遠くの風景が海上に浮かんで見えたり、歪んだり反転したりする自然現象で、魚津は江戸時代以前から蜃気楼の名所として知られる。特に春から初夏にかけて海上に不思議な虚像が現れやすいという。

 地元のボランティアの方々の話では「年に十数回しかお目にかかれない。地元の人でもめったに見られない」そうで、運良く気象条件が合えば、海上に建物や船が逆さに見えたりするのだとか。

ホタルイカが水揚げされる魚津港。

漁場が近く、定置網で漁獲されてすぐに市場に水揚げされるホタルイカは“きときと”そのもの。

ホタルイカの生態や発光のメカニズムを紹介している滑川の「ほたるいかミュージアム」。

富山は富山前田家の城下町。富山城址は「富山城址公園」として整備され市民の憩いの場になっている。

親不知を経て“ヒスイの国”へ

 魚津駅から約10分で生地[いくじ]駅だ。周辺一帯には「黒部川扇状地湧水群」という湧水地帯がある。北アルプスの雪解け水が伏流水となって広い扇状地のいたる所で、透明な清水[しょうず]がこんこんと湧き出し、今でも飲料水や生活水として利用されている。

 境内に清水が湧き出している前名寺[ぜんみょうじ]の住職、中山文彰さんは「生地には清水がいくつもある。でも、それぞれの清水で水の味は違うよ」と話す。それは、海に近い清水ほど多少の塩分を含んでいて上流域の清水とは味が微妙に異なるそうだ。混じり気のない清水を飲み干すと、心まで洗われるようだ。

「名水の里」の生地地区には18カ所もの清水があり、昔から飲み水や炊事、洗濯の生活用水として利用してきた。

「生地地区にある前名寺の裏庭に湧き出る清水。住職の中山文彰さんは、「1mほどのパイプを地中に打ち込むだけで、北アルプスからの豊富な水が湧き出てくる。もっと、生地を知ってもらいたいね」と話す。

 列車は富山湾の縁をなぞるように走る。黒部川を渡る列車の窓には北アルプスの大パノラマと帯状の黒部川。越中宮崎駅を過ぎるともう越後、新潟県だ。市振[いちぶり]駅を過ぎた列車は長いトンネルに入る。北陸路で一番の難所、親不知だ。北アルプスが日本海に没し果てる所だ。断崖と絶壁、日本海の荒波が激しく打ち砕ける。

 親不知は、その昔、親が子を顧みる余裕のないほど険阻で危険な道だったことに由来するらしい。青海[おうみ]駅を過ぎて姫川を渡ると糸魚川[いといがわ]駅だ。糸魚川は北陸新幹線の停車駅でもあり、新幹線の開通に町を挙げて期待を寄せている。

立山連峰を眺め黒部川を渡る列車。(生地駅から西入善駅)

北陸路の最難所の親不知。その昔は命からがら断崖の道を通った。

 糸魚川から松本に抜ける道は「塩の道」として知られ、塩や海産物が山国に運ばれた。上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事にもちなむ古街道である。日本列島を東西に分かつフォッサマグナの西側の境界。そして“ヒスイ王国”として有名だ。姫川を遡った上流の小滝川にヒスイの原石が露出するヒスイ峡がある。

 そこは国指定の天然記念物だから採石は厳重に御法度だが、糸魚川の海岸に打ち上げられたヒスイ探しは誰でも自由。「めったに本物は見つからないが、たまに運のいい人がいる」らしい。

 富山湾の海の幸、残雪の北アルプスの雄大な景色、最後にヒスイ探しと愉しみが尽きない北陸本線の旅だった。

“ヒスイ海岸”とも呼ばれる糸魚川海水浴場は、運が良ければヒスイの原石を見つけることも可能な人気スポット。

北前船交易の栄華を残す岩瀬

北前船の寄港地として発展した岩瀬には廻船問屋「森家」をはじめ、明治初期の歴史的な建造物が残る。

 富山でぜひ訪ねてみたい所が、富山港近くにある岩瀬の港町だ。富山湾に注ぐ神通川の河口には、江戸後期から明治にかけて北前船で賑わった岩瀬がある。蝦夷(北海道)から大坂を結ぶ西廻り航路で運ばれた米や木材、昆布、ニシンなどの売買によって日本海沿岸の寄港地はどこも繁栄したが、岩瀬もまた豪商を生んだ北前船の寄港地だった。

 旧北国街道の大町・新川町通りには、北前船交易で財を成した廻船問屋の町家や、造り酒屋や銀行など往時の活況を現在に伝える町並みが残っている。国の重要文化財に指定される廻船問屋「森家」の作田昇館長によると「ただし、岩瀬では北前船とは言いません。船の往来による“売買”で、“倍々”と儲かったことから、“バイ船”と呼んだんです。廻船問屋は、岩瀬の旧北国街道沿いだけで20軒もありました」。

 往時を偲ぶ歴史的町並みを見物に年間3万人を超える人が訪れる。漆喰の外壁に格子など豪商家の名残は今も重厚さをとどめ、昔の情趣溢れる通りはなんともいえず落ち着きのある佇まいだ。近くの富山港の展望台に上ると、瓦屋根を重ねた岩瀬の町を見下ろし、その遠く先に立山や劔の峰々が連なっている。いかにも絵になる美しい風景だ。

富山港展望台から眺めた岩瀬の町。背景には、北アルプスの稜線が続く。

国の重要文化財に指定される北前船廻船問屋「森家」の館長で、岩瀬出身の作田昇さんは「北前船の航海は4月から10月までの7カ月間で、2回だけ。でも、その2回で売り上げは千両箱一つになりました」と話す。千両箱は、現在の5000万円に相当する。

1878(明治11)年に建てられた「森家」は当時の姿をとどめる東岩瀬廻船問屋型町家の一つで、前庭を持つ三列四段型の間取りとなっている。

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