Essay 出会いの旅

Sada Masashi さだ  まさし
1952年4月10日長崎市生まれ。シンガーソングライター・小説家。1973年に「グレープ」でデビュー。代表作品は「精霊流し」「無縁坂」。1976年ソロデビュー後も「雨やどり」「秋桜」「関白宣言」「北の国から」など数々の国民的ヒット作品を発表する。活動の中心であるコンサートの回数(1976年以降)は昨年7月17日に4,000回に達し、

記念公演を日本武道館で開催。同時期に、40周年と4,000回を記念してリリースした「天晴〜オールタイム・ベスト〜」が大ヒットし、2013年日本レコード大賞特別賞を受賞。1月15日には、その4,000回コンサートを収録したライブアルバム「さだまさし 4000&4001 in 日本武道館」を発表。また、2001年「精霊流し」で小説家としての活動を開始。以後「解夏」「かすてぃら」「はかぼんさん」「風に立つライオン」など8作品を発表。現在、週刊朝日で小説「ラストレター」を連載中。「解夏」収録の短編「サクラサク」は5作目の映画化作品として今年4月に劇場公開される。同作の主題歌「残春」も自身の書き下ろし(ユーキャンから4月2日にシングルとしてリリース)。

サクラサク

 父の父、つまり僕の祖父は国際探偵だった。今風に言うならば『スパイ』だった訳だ。だが、その話は言わば身内伝説のようなものだろう、と、僕はあまり信じなかった。
 ところが昨年、雑誌の取材で出会った文藝春秋社の親切な記者から情報を得、慌ててネットで探して入手した『新疆事情』という古書には、確かに祖父の名が記されていた。
 『新疆事情』は孫文が前書きまでしている中国人による立派な旅行記で、日本の外務省調査部が和訳して昭和九年に刊行したもの。その新疆ウルムチでの記述に、土地の代表者との夕食会で出会った人物のひとりとして「日本人佐田繁治有リ、国際探偵ナリ」と記されている。三井洋行社員という名目で十余年、中国各地を歩く、漢語を良く語り、解する云々、などの記述も。
 時代的には大正初期で、祖父はその後中ロ国境に赴き、馬賊操縦で国境争乱を煽るといった任を負っていたようだが、シベリア出兵の際に祖母と父を伴って福井に引き揚げた。父が2歳の時のことだ。
 祖父は帰国後国際探偵を辞し、当時の総理からサハリンの森林開発の全権を貰い、その開発途中にサハリンの泊居[とまりおる]という町で急死した。父が5歳だった。
 その父がある日、ふと懐かしそうに「敦賀の港町で暮らしたことがあるんだ」と言った。シベリアから両親と引き揚げ、2歳から3歳の一年あまりを両親と共に暮らした福井の想い出だ。
「右に海、細い道を歩いてゆくと、左に曲がった直ぐ左手に祭礼用の大きな山車蔵があった。その突き当たりに寺があり、その隣の、庭に大きな桜の樹のある白い家で暮らした」と。
 幼い子供の記憶といえども、父には5歳で死別した父親と一緒に暮らした僅かな時間の、微かだが大切な記憶なのだ。
 それで僕はある年の桜の頃、金沢での仕事の合間の休日に父を伴って、その「白い家」を探すことにした。前日、最も大きな地図を買い込み、朝早くレンタカーで金沢を出、福井へ出た。それから日本海沿いの海辺をゆっくりどこまでも走ってみようと思ったのだ。既に父が引き揚げてから60年近くを経ていたとはいえ、父の記憶が確かならばいつか辿り着く筈だと。
 ところが、やがて敦賀を過ぎる辺りでもそのような場所はなかなか見つからなかった。そのうち陽も西へ傾きはじめ、流石に諦めかかったとき“和田海岸”という看板に父が色めき立った。昔父親に連れられて行った記憶がある、というのだ。
 更にそこから暫く行った辺り、久々子湖と若狭湾とが繋がる付近の赤い橋の辺りで父は「ここだ」と叫んだ。既に敦賀を過ぎ、美浜町に入っていた。
 僕が車を停める間に父は一人、なにかに憑かれたように歩いて行く。慌てて追いつくと、父は幼い子供のような顔になっていた。右手に海を観ながら左へ曲がると確かに小さな山車蔵がある。2歳の子供ならさぞや大きく見えただろう。そして確かにその突き当たりにお寺はあり“瑞林禅寺”の見事な山門と白い壁が見えた。それで腑に落ちた。
 成る程、父の言う「白い家」とは家の色ではなく、この寺の白壁の記憶だったのだ。
 父の暮らした家は近年になって取り壊され、白壁の外に廃材がうずたかく積んであった。幼かった父は、洗い張りの仕事をする祖母の邪魔にならぬよう、また、うろついて海に落ちぬよう、桜の木の根に縄で繋がれていたという。父の結ばれていた桜の木は、確かにあったが想像よりずっと細く小さかった。
「この家だったんだな」
 その辺りを歩き回り、愛おしそうな手つきで廃材をそっとさするように撫で続ける父の横顔を、僕は折から満開の桜の下に腰掛けたまま、ずっと眺めていた。こぼれそうになる涙をこらえるのが大変だった。
 今は亡き父との懐かしい旅の記憶である。
 この時の記憶を元に十年ほど前に書いた小説が「サクラサク」で、十年経つ内に福井の方々の強い応援が集まり、田中光敏監督、緒形直人さん、南果歩さん、藤竜也さん達によって温かくて素晴らしい映画になった。思いがけない、父の遺産である。

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