沿線点描【山陰本線】幡生駅から仙崎駅(山口県)

心躍る北長門の海岸線を車窓に金子みすゞの故郷へ

今回は山陰本線の山口県幡生[はたぶ]駅から仙崎駅までの約76キロメートルの旅。沿線の魅力は絶景のオーシャンビュー。開湯800年の湯の里を経て、童謡詩人・金子みすゞの詩情漂う長門市仙崎を訪ねた。

二見の「夫婦岩」。2つの岩をつなぐ注連縄は、毎年1月2日に張り替えられる。 写真提供:長門市

芸術家の心をとらえた響灘の風景

 「朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮の 大漁だ」。金子みすヾは、心温かな詩の数々を紡ぎ出し、多くの人の胸を打つ童謡を残した。仙崎に生まれ、短い生涯の晩年を下関で過ごしたみすヾの童謡には、仙崎の自然と風土が織り込まれている。そんなみすヾの生涯を辿るかのように、土曜・休日には、新下関から下関を経て仙崎まで直通する「みすヾ潮彩」号が走る。この地は、その美しさから、みすヾだけではなく、多くの芸術家に愛された地でもある。

 旅は海峡の町、下関駅の一つ隣の「幡生[はたぶ]」から始まる。一両編成のディーゼルカーはゴトゴトと駅を離れ、しばらくすると本州西端部の響灘の海岸線をなぞるように走り始めた。車窓の左手に広がる真っ青な海に気持ちが高鳴った。

 約30分で川棚温泉駅だ。毛利の殿様が贔屓[ひいき]の開湯800年の湯の里は、俳人・種田山頭火が長逗留し、数多くの句を残した。「湧いてあふれる中にねている」はその一句だ。また、世界的なピアニスト、アルフレッド・コルトーもここの風景に魅了された一人だ。

 コルトーは1952(昭和27)年に日本公演で下関を訪れて川棚温泉に宿泊。ホテルの窓から眺めた響灘の海と厚島の美しい景観に心を奪われ、当時の村長に厚島をぜひ譲ってほしいと願い出た。世界的なピアニストの申し出に「永住を条件に村長は無償で差し上げた。粋な話でしょ」と下関市川棚温泉交流センター(川棚の杜)の上田繁和さんは話す。その後コルトーは帰国し病没。再訪は果たせなかったが、ピアニストを偲んで人々は厚島を「孤留島」“コルトー”と呼ぶようになったという。

 コルトーが絶賛したであろう夕映えの響灘は金色にまばゆく輝いて幻想的である。この川棚温泉に風変わりな名物グルメがある。「瓦そば」だ。熱した瓦の上に茶そばがのっかり、その上に牛肉、タマゴや海苔、レモンをトッピングしてあって、これが見た目以上に美味。珍しい瓦そばをほおばり、源泉かけ流しの古湯に浸かれば「ほーっ」と身も心も溶けていくようで、まさに「この世の極楽」だ。

妙青寺の境内にある山頭火の句碑。漂泊の俳人・種田山頭火は、川棚温泉への永住を切望したが、果たされることなく生涯を終えた。

下関市川棚温泉交流センターで町づくりに携わる上田繁和さんは、「コルトーさんのエピソードは町づくりの一つのテーマで、遠方からコルトーさんを訪ねて来る人もいるんです」と話す。

川棚温泉の名物「瓦そば」。西南戦争で、兵士たちが瓦で肉や野草を焼いて食べたことをヒントに創作された。

車窓には紺碧の響灘が広がる。(宇賀本郷駅から長門二見駅間)

響灘に浮かぶ厚島。世界的ピアニストのアルフレッド・コルトーも絶賛した。

絶景の北長門海岸のオーシャンビュー

 沿線の車窓には、3カ所のオーシャンビューポイントがある。1つ目は、川棚温泉駅の隣の小串駅から湯玉駅間、2つ目は宇賀本郷駅から長門二見駅間。そして3つ目が黄波戸[きわど]駅から長門市駅間。このポイントの車窓の風景は、宝石をちりばめたような輝く海が広がって、列車の乗客は例外なく車窓に釘付けになる。「みすゞ潮彩」号では、3つのポイントで1分間停車し絶景を堪能できる。

「みすゞ潮彩」号。(小串駅から湯玉駅間)

別名「海上アルプス」と称される北長門海岸国定公園。その中心に位置する青海島には、洞門や断崖絶壁など数多くの奇岩、巨岩などが連なり、観光遊覧船で島を一周することもできる。

 列車は阿川駅から油谷[ゆや]湾沿いに東に向かい、田園地帯を過ぎると、目の前に大きな島が横たわる深川湾が現れる。湾を一望する温泉地がある黄波戸駅から長門市駅までは、3つ目のオーシャンビューポイントだ。北長門海岸国定公園の絶景のハイライトで、湾の先に横たわるのは青海島。島の北側は嶮しい断崖と絶壁が続き、岩礁が多く「海上アルプス」とも呼ばれる奇岩の景勝地だ。

 車窓に青海島を眺めて列車は、仙崎の西の付け根の長門市駅に到着。ここで乗り換えると一駅で仙崎駅だ。長門は古くから漁業と水産加工が盛んな町で、特に「仙崎かまぼこ」は全国的に知られる特産品だ。

 「もっとも活気があったのは昭和30年代だね。小さな町に20軒以上ものかまぼこ工場がありました。作れば売れる。いい時代でしたね」と話すのは、農林水産大臣賞など数々の賞に輝くかまぼこ屋の主人、伊藤健治さん。すぐそばの仙崎漁港で毎朝水揚げされる「エソ」という白身魚だけで作る伝統のかまぼこは、歯を押し返すほどぷりぷりの食感だ。

 冬は寒ブリ、仙崎イカ、仙崎トロあじなど魚種豊富な海の幸には、思わず食欲をそそられる。三方を海と接する長門市仙崎。朝焼け、夕焼けが特別に美しい仙崎の自然と風土が、金子みすゞの豊かな感性を育てた揺りかごだった。潮が香る小さな町を歩くと、無垢でふっくらした金子みすゞの詩心の原風景が見えてくるようだった。

山陰屈指の水揚げ量を誇る仙崎漁港。活気のある早朝には、仙崎イカや仙崎トロあじ、寒ブリなど種類豊富な魚が競りにかけられる。

創業67年の「大和蒲鉾」の2代目伊藤健治さんは、「不漁であれば、製造しません。品質にこだわりがあるからです。今後は、無添加にも挑戦していきたいですね」と話す。

童謡詩人・金子みすゞの故郷

仙崎の町を歩くと、いたるところに大きな金子みすゞの肖像が現れる。仙崎名産のかまぼこ板を組み合わせて作られたモザイク画で、みすゞの詩の風景をイメージしたものという。

 仙崎駅の改札を出ると、金子みすゞの大きな肖像が出迎えてくれる。よく見ると特産のかまぼこ板で作られたモザイク画で、町の中でもたびたび目にする。童謡詩人、金子みすゞは1903(明治36)年に仙崎に生まれ、20歳までこの町で暮らした。

 詩作は主に下関時代だが、みすゞの感性を育んだのは仙崎での体験と記憶だ。その詩心は、生命への慈しみと、生きとし生けるものへの優しいまなざし。生涯に512編の詩を作り26歳で夭折したみすゞの詩情が、この町の佇まいの中に潜んでいる。海に浮かんでいるような仙崎の町、海と空の青さ、賑わう漁港、漁の無事を祈り海の恵みに感謝する人々の暮らしは今も変わらないこの町の日常だ。

深川湾と仙崎湾に挟まれ、サイの角のように突き出した砂州の上にできた仙崎の町は平たく、昔のままの家々や町の風情が残っている。みすゞが幼少の頃過ごした金子文英堂は記念館として復元され、通りの家々の軒先には『大漁』や『鯨法会』など、みすゞの詩を書いた看板がかかっている。時間があれば『仙崎八景』で、みすゞが詠んだ風景を巡り歩いてみると、仙崎はもっと魅力的に見えてくる。

仙崎駅の構内には、市民や観光客のメッセージがかまぼこ板に書かれ、それらが組み合わさってみすゞの肖像画になっている。

「みすゞ通り」の家々の軒先には、みすゞの詩が趣向を凝らして手書きされた木札が掲げられている。

王子山公園から眺めた仙崎の町。みすゞの『仙崎八景』の「王子山」では、海に浮かぶ竜宮のようだと歌っている。

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