ふるさとの味

石川県金沢市 大根寿し

日本海の新鮮な魚介、加賀野菜など、 豊かな山海の幸に彩られた城下町金沢の食文化。 肥沃な平野や潤沢な水を利用した米どころでもあり、 麹や糠を利用した発酵食文化も色濃く残る。 塩漬け大根と身欠きニシンを麹とともに漬け込む「大根寿し」は、 この地方の冬を代表する郷土の味。 北陸の気候風土と先人の知恵に育まれた伝統の味を訪ねた。

雪国ならではの風土に溶け込んだ伝統の保存食。

気候風土に育まれた庶民の味

 南北に細長く、背後に白山連峰、眼前には日本海を望む石川県の自然環境は、海や川、里山からのさまざまな食材をもたらす。多雨多雪の北陸特有の湿潤な気候は、多彩な発酵食品と結びつき、風土に根ざした食文化を育んできた。

 魚と野菜を麹とともに漬け込み発酵させたものは、「いずし(飯鮓)」と呼ばれる「熟れずし」の一種。江戸時代、北前船が昆布やニシンを加賀や能登の港に運び込んだ際、こうした北方の食文化も同時に伝わったと考えられている。「かぶら寿し」とともに金沢の冬に欠かせない「大根寿し」は、その材料であるニシンが肥料にされるほど安価で豊富にあったことから、「かぶら寿し」はハレの日、「大根寿し」は日常のご馳走として庶民に広まった歴史がうかがえる。

 

 加賀藩の儒学者であった金子鶴村[かくそん]の書『鶴村日記』には、1813(文化10)年1月10日に「鶴来町屋佐助よりにしんのすし(大根寿し)到来甚[はなはだ]味よし」という記述が残る。当時は魚屋が漬け込み、年始の挨拶にお得意様に贈る風習があったそうだ。その後、一般家庭でも盛んに漬けられるようになり、雪に覆われ、海も荒れて漁に出られない日は、持ち寄った「大根寿し」の味自慢が、庶民の楽しみになっていたという。

金沢城下の北東を流れる浅野川。ゆるやかな流れから「女川」とも呼ばれ、浅野川大橋や梅ノ橋など趣のある橋が多く架かる。この界隈はひがし茶屋街にもほど近く、金沢らしい風情を漂わせている。

麹の力が素材の持ち味を引き出す

 金沢の漬け物専門店、創業1875(明治8)年の「四十萬谷[しじまや]本舗」では、旬の大根が出回り出す頃から、伝承の味「大根寿し」の漬け込み作業が始まる。仕込みの最盛期は、11月末から12月上旬。材料は、寒さとともに風味を増す青首大根と身欠きニシン、そして発酵・熟成の決め手となる米麹だ。家庭によっては唐辛子や昆布を入れることもあるが、基本の材料だけで漬け込むのがこの店の味という。

 「大根は、素材の持つ甘さと歯ごたえが大切。地元産を含め、その時期の一番いい大根を見極め使用します」と、5代目店主四十萬谷正久さん。さらに、北陸で唯一残る種麹[たねこうじ]専門店から麹を取り寄せ、蒸し米と合わせた四十萬谷だけの“大根寿し用の麹”に仕上げて用いるのが、先々代から続くこだわりだそうだ。その日の気温や湿度、大根の厚さなどを考え、麹の量を加減しながら漬け込むのが職人の技。生きた麹の力が旨みを引き出し、老舗の味を醸し出す。

 雪をまとったような上品な姿ながら、しゃきしゃきした大根の食感やニシンの香ばしさが後を引く、食べ応えのある逸品。何より麹の風味が発酵の奥深さを物語る。「大根寿し」は、県が普及・啓発を目的にその品質を認証する「ふるさと食品」の一つでもある。郷土が誇る味わいは、揺るぎない文化となって冬の食卓を彩っている。

漬け込む前の下準備として、大根は3日間塩漬けに。身欠きニシンは一晩水につけ、鱗を取って形を整える。

下漬けした大根に、均一に味がしみ込むよう加減しながら麹を乗せていく。ニシン、人参の順に重ねて1段が仕上がる。

食べ頃は、1週間から10日後。麹の糖化力によって甘みが生まれ、またニシンのたんぱく質も分解されて独特の旨みが引き出される。

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