沿線点描【木次線】備後落合駅(広島県)〜木次駅(島根県)

トロッコ列車「奥出雲おろち号」で『古事記』の原風景を訪ねる。

『古事記』が編纂されて1300年。その上巻の重要な舞台が出雲で、 なかでもヤマタノオロチは有名な神話。 木次[きすき]線の備後落合駅から木次駅を走る「奥出雲おろち号※」 に揺られて、 神話の原風景を旅した。

※「奥出雲おろち号」運転期間:平成24年7〜9月は金・土・日・祝日と、7月20日〜9月2日の夏休み期間の毎日。

全国でも珍しい、神社造りの出雲横田駅。

中国山地の背中を越えて、三段式スイッチバックを下る

 備後落合[びんごおちあい]駅は広島県の北、緑に萌える中国山地のただ中にある。山々に囲まれた駅は無人だが、木次線の起点で芸備線との乗り換え駅であり、季節限定で走るトロッコ列車「奥出雲おろち号」が出発する駅としても、鉄道ファンの間では人気が高い。

 ディーゼル音を残して備後落合駅を出発した「奥出雲おろち号」は、機関車DE15と客車2両の編成で、1号車はガラス窓のない開放感あふれるトロッコ列車。青と白の車体カラーに星がちりばめられたデザインで、機関車の前照灯がぎょろりとしたオロチの目玉を思わせる。列車はさらに緑深い山中に分け入っていく。山は険しく、谷は深い。

 列車はゆっくり、ゆっくりと進む。備後落合駅から2つ目の三井野原駅は標高726メートルの地点で、JR西日本では最高地点の駅だ。冬には駅の前がスキー場となる。幾重にも重なる山々の景色が素晴らしい。沿線からは少し離れるが、鳥取県と島根県を分ける船通山[せんつうざん]は、『古事記』によれば、スサノオノミコトが天上から追放されて降り立ったところとされている。

 列車は周囲の山の稜線と同じほどの高所を走る。そして眼下に見えたのが、「奥出雲おろちループ」と呼ばれる車道で、真っ赤な橋りょうと 大蛇がとぐろを巻いたようなループ橋は、車窓からの絶景風景の一つである。そして急勾配の「三段式スイッチバック」へと続く。険しい急斜面を上り下りするために、列車の進行方向を前後を逆にしながらジグザクに進むのがスイッチバックだ。

 三井野原駅と出雲坂根駅との標高差は167メートル。列車は出雲坂根駅で進行方向の切り換えを行って八川[やかわ]駅へ。そして列車は出雲横田駅に着く。スサノオがヤマタノオロチを退治した後、妻に娶った櫛名田比賣[くしなだひめ]が生まれたとされる地だ。

三段式スイッチバックを走るキハ120形気動車。(三井野原駅から出雲坂根駅)

出雲坂根駅内に湧く「延命水」。この里の古だぬきが愛飲していたと伝わり、長寿の水とされている。

奥出雲おろち号の車内。窓ガラスのない開放感あるトロッコ車両(1号車)からは、奥出雲の自然を身近に感じられる。

櫛名田比賣が生まれた場所と伝えられる稲田神社。

奥出雲の山々を背景に走る「奥出雲おろち号」。(八川駅から出雲横田駅)

 ここ奥出雲地方はかつてたたら製鉄の拠点であった。その製鉄法は、粘土で造られた炉を用い、ふいごという送風装置で木炭を燃焼して砂鉄から鉄を作り出す。中国山地は良質の砂鉄が採れ、さらに純度の高い砂鉄を精選するため、山の上に貯水池を設けて土を下流の選鉱場に流す「鉄穴流[かんななが]し」が行われた。この鉄穴流しで、川の水は時に赤く濁った。それらの支流を集める斐伊川は大雨の時には氾濫し下流で洪水をもたらした。斐伊川のそういう様子を古代人は、八つの頭と八つの尾の大蛇として描いたのだろうか。

 その斐伊川が横田の町中を流れる。駅からほど近いところに「奥出雲たたらと刀剣館」があり、近世のたたら製鉄の歴史を今に伝え、毎月第2日曜日、第4土曜日には玉鋼を使った刀剣の鍛錬を実演している。また、奥出雲町は全国にも名高い「雲州そろばん」の産地でもある。

伝統工芸士の長谷川充弘氏。写真提供/雲州そろばん伝統産業会館

出雲横田駅に隣接する雲州そろばん伝統産業会館では、「質の雲州そろばん」と言われるその歴史や伝統技術、名工たちの作品などを紹介している。

奥出雲たたらと刀剣館では、たたら製鉄の歴史の解説のほか、刀匠による日本刀の鍛錬の実演を行っている。
写真提供/奥出雲たたらと刀剣館

いまも沿線に残るヤマタノオロチ神話の原風景

 出雲横田駅から列車は亀嵩[かめだけ]駅を目指して、のどかな山里の風景の中を進む。亀嵩駅は、松本清張の小説『砂の器』で事件の謎を解く重要な手がかりとして登場する。映画では、駅舎は2つ前の八川駅、ホームは2つ先の出雲八代[いずもやしろ]駅が使われたそうだ。ロケ地になった湯野神社は町外れの亀嵩温泉の近くにあり、この温泉は『出雲国風土記』にも記される古湯である。

亀嵩駅でそば屋「扇屋」を営む杠哲也(ゆずりはてつや)さん。「お客さんにいつ来ていただいても、美味しいそばを出せるように心がけています」と話す。

 亀嵩駅の駅舎内に名物のそば屋がある。あらかじめ予約しておくと、列車が亀嵩駅に到着すると名物の出雲蕎麦を出前してくれる。その蕎麦屋のご主人は“駅長”も兼務していて、鉄道ファンにはちょっとした有名人だ。

 トロッコ列車の車内を涼しい風が抜ける。車窓を過ぎる水田や畑の風景を眺めながら、出雲三成[いずもみなり]駅、出雲八代[いずもやしろ]駅、下久野[しもくの]駅、日登[ひのぼり]駅を過ぎると、今回の旅の終着、木次駅である。

 木次駅周辺にはヤマタノオロチ神話ゆかりの場所が点在する。ヤマタノオロチの棲処だったといわれる天が淵や、退治したオロチの頭を埋めたと伝わる八本杉、オロチを誘い出した八塩折之酒[やしおりのさけ]を入れた八つの壺の一つを祀った神社など。「八岐大蛇[やまたのおろち]公園」にはスサノオが斐伊川の上流から流れて来た箸を拾った「箸拾いの碑」がある。

 ここから斐伊川の下流、木次線の終着駅である宍道[しんじ]駅までさらに約20キロ。中国山地を南北に抜ける奥出雲を巡る木次線の沿線には、神話の原風景が今も変わらずにある。

奥出雲おろち号の機関車が陶器ボトルとなった米焼酎「奥出雲おろち号」(奥出雲酒造)。

ヤマタノオロチが棲んでいたとされる斐伊川上流の天が淵。

木次駅近くにある八本杉。ヤマタノオロチの八つの頭を埋め、その上に八本の杉を植えたと伝わる。

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