建井 昭人(52) たてい あきひと 米子支社 米子電気区 助役

責任と誇りを胸に抱く職人を育てる

鉄道に生きる

常に知識と技術が試される現場を預かる

列車の進路を制御する転てつ機の動作確認。「故障部位を直すことはもちろん、異常を早期に見つけるのも大事な能力」と建井。

「私たちの仕事は、鉄道で電気が通る所をすべて検査・保守することです。主なところでは、信号機、踏切になりますね」。  建井昭人、52歳。1978(昭和53)年、国鉄に入社と同時に米子電気区に配属された。以来34年にわたり、信号機、踏切、ATSなど鉄道運行において安全の根幹をなす信号保安設備の保守・工事に携わってきたエキスパートだ。現在は、米子電気区の技術助役として、山陰本線、伯備線、境線、木次線の設備保守や工事管理を担うほか、若手技術者の育成にも力を注いでいる。

「境線と伯備線は、私のほか社員24名で信号保安設備を直接検査しています。他の路線では専門の協力会社に発注している場合がありますが、私たち自身で保守管理することは、実務能力の向上、そして技術の習得につながります」。

「技術助役である建井にとって、これから検査・保守業務を担っていく若手社員の育成は重要な責務である。

「知識は研修センターでの訓練や先輩からの指導、また自己研鑽で習得できます。しかし、技術や技能については、現場設備を使用した実践教育などで自ら試行錯誤し、時には失敗もしながら覚えなければなりません」。教育や訓練の場では失敗は許される。むしろ失敗経験を積ませることに実践教育の意味があると建井。そう語る建井には、かつて忘れられない失敗経験があった。

経験を糧に培ってきた、自覚と誇り

「まだ設備に関する諸々の図面が手書きだった頃、台帳の間違いから工事中に踏切が鳴りっぱなしになり、お客様に多大なご迷惑をかけてしまいました。引き継いだ古い台帳の誤りに気づくことができなかったのが原因でした」。

 図面管理と現地確認の大切さを痛感した建井は、この失敗を機に当時所管していた約50キロメートルのエリアを自身で歩いて調査し、信号保安設備や配線などを漏れなく記載した詳細な図面を描き上げた。

「信号がないと列車は動きません。また、踏切を守ることは、ご乗車の方々だけでなく踏切を通行される方々も守るということに直結します。こうした信号保安設備こそ鉄道の安全の原点。経験を重ねるほど、本当に重い責任を担っている仕事なんだという自覚が深まりました」。

 同時にこの頃から、建井は職人としての知識、技能の向上にも一層精力的に向き合うようになり、工事における技能の向上のため、この頃から会社が主催する技能競技会でも鍛錬を積み、数年後には全社大会で優勝するまでになった。さらに近年では建井の薫陶を受けた若手社員たちが技能競技会で上位に進出する活躍をみせている。

「事故につながる失敗は絶対に許されません。我々は大事なポジションを担っているという誇りもあります。それを若手たちに伝えたい。教わる社員も『必ず覚える』という意欲がなければ身につきません。その意欲は、鉄道は自分が動かしているという自覚と誇りから生まれるのです」。

信号機を制御する「閉そくユニット」の検査。訓練では、誤作動の原因を突きとめる目を徹底して養う。

技術と感受性を備えた「職人」を育む

 現在、技能に長けた若手を数多く輩出している米子電気区。だが、建井のめざす人材育成とは単に知識や技術に優れた後進を育てることではない。

「設備管理者として、鉄道電気理論などの習得は必須です。しかし、設備も最終的には人間が管理するもの。安全の原点は人間です。『今、何をしなければならないか?』知識、技能に加え、感受性も備えた職人を育てたいのです」。では、建井の言う職人に必要な感受性とは何なのだろうか。

工事工程の立て方、工事現場での各種装置の配置の仕方など、経験談を交えつつ、若手社員に伝え教える。

「たとえば、故障した箇所を見つけるのは誰にでもできます。設備故障が発生する前に予兆を見つけ出すことが大事なのです。技術者とは、経験による勘所や機微をも身につけなければならない。そんな職人を育成したいのです」。

 50歳を超えた建井と若手社員の間に、世代のギャップがあるのも事実だ。だが「仕事への誇り、責任感は必ず共有できる」と建井。

「若手が一人前になって、逆に私の間違いを指摘するぐらいになってくれるのが待ち遠しいです。いつか『自分は建井の弟子だぞ!』と胸を張る職人を育てるのが目標であり、喜びです」。

 技術を追求し続けてきた職人は今、人を育てる匠としての新たな軌道を進んでいる。

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