Essay 出会いの旅

Sakai Junko 酒井  順子
エッセイスト。1966年東京生まれ。2003年、『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。『おばさん未満』『ほのエロ記』『携帯の無い青春』『女子と鉄道』『おばあさんの魂』『徒然草REMIX』や、「週刊現代」で掲載の人気エッセイをまとめた『女も、不況?』など著書多数。

京都、20泊の旅

 京都に、20泊21日の滞在をしたことがあります。それは、私がふと思い立って、京都のとある大学の通信学部に入学した時のこと。夏休み期間にはスクーリングというものがあり、京都の大学キャンパスまで行く必要がありました。が、授業があるのは数日間ずつ、とびとび。「行ったり来たりするのも面倒だから…、いっそずっと滞在してしまえ!」と思ったのです。
 滞在するのは、安いホテルにしました。とはいっても20泊するわけですから、そこそこ快適であることも重要。事前の京都旅行の時、私は目星をつけておいた何軒かのホテルを巡ってシングルルームを見せてもらい、比較検討しました。結果、交通の便も部屋の使い勝手もよく、なおかつ大浴場もついているホテルに決定。滞在するのは観光客の少ない真夏なので、料金も格安です。
 京都20泊は、たいそう楽しかったのです。それまでも京都を旅したことはありましたが、2泊3日程度の滞在だと、見るものも食べるものも、限られます。「せっかくだから」とちょっと素敵な懐石料理を食べたり神社仏閣を巡ったりと、ハレとケで言うならば、「ハレ」の京都ばかり見ることになる。
 しかし20泊ともなると、さすがにハレの京都ばかりというわけにはいかなくなります。食事にしても、中華料理や町の食堂やお好み焼き屋さんにも行くし、見て回るにしても、商店街や本屋さんや住宅街をうろうろするように。すなわち、観光向けでない京都も知ることができたのです。
 また、滞在中には東京から何人か友達も遊びにきてくれました。「生活の彩りに」と花や果物を持ってきてくれる友達もいて、花瓶や包丁など、100円ショップで買った生活用品が日々増えていくのもまた楽しい。  そんな中での、最も「ケ」な体験。それは、ある眼医者さんとの出会いでした。
 滞在も一週間を迎えようとした頃、私は激しい眼の疲労を覚えるようになりました。東京にしか住んだことの無い私としては、20泊とはいえ、異郷の地にての生活に、どこかで気を張っていたのでしょう。
 今までに感じたことのないような眼の疲れに、眼医者さんに行くことにした私。大学の近くで見つけた眼医者さんの ドアを思い切って、開ける。ただでさえ初めてのお医者さんは緊張するものですが、アウェイの地での初診、という行為に私は身を固くしていました。
 が、眼医者さんはとっても優しかった。初老の女医さんだったのですが、 「あ〜、疲れ目ねぇ。疲れ目っていうのはねぇ、特効薬ってないのよね〜」  と言いつつ、手早く目薬を点眼。
「あんまり眼を使いすぎないようにしてね〜。はい、じゃ 目薬出しておきますから」  と、手早く診療は終ったのですが、私の心は妙な満足感に包まれていました。その眼科はごく普通の町のお医者さんであり、女医さんも京都弁なら待ち合い室にいる患者さん達も京都弁。私はそこでしみじみと、「ああ、私は今、京都にいるのだなぁ…」と実感したのかもしれません。
 目薬の効果と、滞在にも慣れてきたせいか、私の目の疲労はほどなくして治りました。その後はもう、勉強と遊びとで楽しい日々。両親も呼んで、ちょっと親孝行の真似もしてみたりして。
 東京に戻ってからもしばらくの間、その眼医者さんからは、患者さん達とのコミュニケーションツールなのでしょう、 「○○眼科だより」というお手紙が定期的に届きました。そこに書かれているのは、眼科の日々の様子や、お知らせなど。
私としては、もうその眼科に行くことはないかもしれないのだけれど、「○○眼科だより」を見る度に、ほんの少しだけ 京都人の仲間入りをした気分になることができた20泊の 滞在の日々を、懐かしく思い出すのです。

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