ふるさとの祭り

熊野信仰に根ざす伝統祭事 熊野本宮大社例大祭 4月13日から15日/和歌山県田辺市本宮町 4月13日 湯登(ゆのぼり)神事・宮渡(みやわたり)神事 4月14日 産田社(うぶたしゃ)例祭・船玉(ふなたま)祭 4月15日 本殿祭・渡御(とぎょ)祭 2012年は正遷座120年大祭として開催

うららかな春の陽ざしの中、
旧社地「大斎原[おおゆのはら]」をめざして
総勢約200名の華やかな行列が進んでいく。
熊野本宮大社の例大祭は、この渡御神事を中心に
数々の祭典が古式ゆかしく繰り広げられる。
祈りの聖地、熊野ならではの祭りには、
信仰の歴史が刻まれている。


熊野川、音無川、岩田川が合流する中州にある、本宮旧社地「大斎原」と大鳥居を望む。

古の人々がめざした聖地

 紀伊半島の南部に位置する熊野は、深い山々に囲まれ、古代より神々が鎮まる聖地として信仰を集めてきた。熊野の「熊」は、奥まったところという意味の「隈[くま]」が語源といわれる。西には高野山、東には吉野という2大聖地のさらに奥に位置する熊野には、神仏の国があると考えられていた。

 その神域に「熊野三山」と呼ばれる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社が創建され、修験道の拠点となっていく。平安時代には浄土の地として厚く信仰され、修験者によって参詣道が開拓されると、京の都からは皇族や貴族がこぞって熊野に詣でた。不浄を嫌わず、身分の貴賤を問わない大らかな熊野の神は、庶民の間にも信仰を広め「蟻の熊野詣」と例えられるほど、参詣者が後を絶たなかった。

 熊野本宮大社の社殿は、杉の巨木が茂る丘陵地にある。熊野大権現の奉納幟[のぼり]が両側にはためく長い石段を上っていくと、神域の森にふさわしい厳かな空気を感じる。神門を入り、参拝者がまず向かうのは、主祭神・家津御子大神[けつみこのおおかみ](素盞嗚尊[すさのおのみこと])を祀る第三殿(本殿)。次いで速玉大神を祀る第二殿、夫須美[ふすみ]大神(伊邪那美尊[いざなみのみこと])を祀る第一殿、最後に天照大神を祀る第四殿の順に参拝するのが古録にならった順序という。

湯登神事では、湯の峰温泉から大日越と呼ばれる古道を通り帰路につく。神の御子である稚児は穢(けが)れを嫌い、ウマと呼ばれる父兄に肩車されて移動する。

渡御祭に先立ち、本殿前には菊の造花を竹竿に飾りつけた「挑花」が供えられる。「挑花」は渡御の行列にも加わる。

熊野の春を彩る聖なる祭り

 例大祭ではご祭神にまつわる一連の儀式が3日間にわたり行われる。初日の湯登[ゆのぼり]神事は、神職や稚児、氏子らが湯の峰温泉に向かい、心身を清める湯垢離[ゆごり]をして戻ってくる行事である。大日越[だいにちごえ]と呼ばれる古道の峠を通り、湯峯王子社[ゆのみねおうじしゃ]などで、八撥[やさばき]神事と呼ばれる祓[はらえ]の稚児舞楽を奉納し下山する。この日の夕刻には、旧社地・末社への宵宮行列をなす宮渡[みやわたり]神事を執り行う。

 2日目は安産・子授けを祈る産田社例祭[うぶたしゃれいさい]や、大漁と海上安全を祈る船玉[ふなたま]祭など、摂末社での儀式が行われる。

 最終日を飾るのは、盛大な神輿渡御[みこしとぎょ]である。早朝から本殿祭が行われ、「挑花[ちょうばな]」と呼ばれる菊の造花を飾り付けた神輿が第一殿の前に据えられる。午後からの渡御[とぎょ]祭は、『日本書紀』の故事にちなむ祭礼で、榊[さかき]を持った神職を先頭に、氏子総代や山伏、稚児、巫女らのほか、神輿、太鼓、楽人も加わった華やかな行列が、本宮から500メートルほど離れた旧社地「大斎原」をめざして進んでいく。「大斎原」の祭場では、祝詞[のりと]献上などの神事をはじめ、地元の子どもたちが練習を重ねた大和舞や巫女舞、お田植え神事なども奉納される。かつては、福をもたらす挑花を参詣者が奪い合ったというが、今はくじによって持ち帰るそうだ。古式ゆかしい春祭りが終わると、熊野は新緑の季節を迎える。

旧社地・大斎原の祭場では、神輿で里帰りした伊邪那美尊の御魂を祀り、祝詞が奏上される。

祭場内に4本の榊を立て注連を張り、田んぼに見立てた場所を作って行われるお田植え神事。
(写真提供:熊野本宮観光協会)

熊野権現の使いとされる八咫烏があしらわれたお守り。

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