沿線点描【越美北線】福井県◎越前花堂駅から越前大野駅

戦国ロマン薫る一乗谷から“越前の小京都”大野へ。

越美北線は福井県の越前花堂[はなんどう]駅から九頭竜湖[くずりゅうこ]駅を結ぶ全長52.5kmののどかな単線路線で、九頭竜線とも呼ばれる。蛇行する足羽川[あすわがわ]、九頭竜川に沿って走る車窓は、素朴な山里と奥越前の山峡の風景が見どころだ。そして戦国時代の歴史遺産と大野盆地の城下町…。今回は越前花堂駅から越前大野駅までを旅した。

越前高田駅を過ぎると、列車は奥越前の豊かな自然に囲まれた山峡へと分け入っていく。(越前高田駅から市波駅間)

朝霧の一乗谷の幻想風景に朝倉氏五代の栄華を偲ぶ

朝霧に包まれた朝倉館跡。広大な敷地内には17棟の建物と、三方に濠と土塁が巡っていたという。

 朝霧に包まれた晩秋の一乗谷を見たくて、福井駅2番ホームから始発の越美北線に乗り込んだ。列車は1両、車内には乗客が数人いるだけだ。

 駅を離れた列車は足羽川を渡りきると、数分で越前花堂駅に停車。この越前花堂駅が越美北線の起点でここから北陸本線と分かれ、東の峰々に向かって線路はまっすぐ一直線に続く。車窓の右も左も遮るものもなく、肥沃な田畑が遠くの山の麓まで広がり、列車はその中を山に向かってコトコトと走る。足羽駅は田畑のただ中にポツンとある。沿線のほとんどの駅がこうした無人駅だ。

 山々の谷筋から白い霧が龍のように麓に這い降りてくる。実に神秘的だ。越前東郷駅を過ぎ、足羽川の清流と出会い、列車はいよいよ山の中へと分け入る。ほどなく一乗谷[いちじょうだに]駅だ。福井駅からわずか17分で、風景は一転してしまう。

 駅から細い道をたどり、一乗谷川の清流沿いに歩くと、朝霧にすっぽり包まれた一乗谷の幽玄な世界があった。白い朝霧の中に朝倉館の唐門と、傍らの桜の古木と土塁が霧の中にうっすらと姿を見せている。応仁の乱以後、織田信長に焼き滅ぼされるまで、朝倉氏5代、103年間にわたる栄華の跡である。

 やがて射し込む朝陽に霧は溶けはじめ、風景が輪郭を持ちはじめた。一乗谷川に沿った帯状の狭い平地は山々で囲われ、400年前には戦国時代屈指の人口1万人の巨大都市があった。山上には山城、土塁で囲んだ朝倉氏の居館や庭園、武家屋敷や町家…寺院は40カ寺。それが信長に攻められ、3日3晩燃え続けて灰燼に帰し、長きにわたって埋没していた。

杉林の中を走り抜けていく列車。
(一乗谷駅から越前高田駅間)

豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために寄進したと伝えられる唐門。現存の門は江戸時代に建て替えられた。

武家屋敷や町屋を再現した復元町並。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、当時の町並みを再現している。

 1967(昭和42)年以来の発掘調査で次々に遺構が現れ、朝倉氏の隆盛と巨大都市の姿が明らかになりはじめたのだ。現在、武家屋敷や庶民の住居が並ぶ町が発掘調査にもとづいて実物大で復元。石を載せた板葺き屋根、柱や建具までが忠実に再現され、山上の一乗谷城址を含めた一帯は国指定特別史跡だ。

 京にも劣らない朝倉文化の栄華。未発掘の部分も多く残っていて調査は今も続けられている。地元の方たちが、公園の落ち葉を掃除していた。あいさつをすると、最近はテレビCMで話題になり平日でも大勢の観光客が訪れるという。土地の言葉を借りれば「いいとこやざあ」。早朝の一乗谷の幻想的な風景は、やっぱり格別の趣がある。

430余年の歴史が碁盤目状の町割に息づく奥越前の城下町

 一乗谷駅から再び列車に乗り、“越前の小京都”と呼ばれる越前大野をめざす。一乗谷駅からはU字型に大きく蛇行する足羽川とつかず離れずに列車は走る。次々に鉄橋が現われる。美山駅まで大小7つの橋りょうがある。

 山裾を走り、森林の中を進み、トンネルを抜け、そして鉄橋を渡る…。ずっと山峡の風景が続くのだが山々の姿も樹々の色も微妙に異なり、川も違った表情を見せる。この車窓の変化が越美北線の魅力の一つでもある。美山駅からは列車は足羽川と美濃街道と並走し、計石[はかりいし]駅を過ぎるとトンネルに入り、暗闇から抜けると、ぱっと景色は転換した。大野盆地は想像していた以上に広々としている。

足羽川沿いを走り、美山駅へ向かう列車。越美北線では沿線の風景をモチーフにした3種類のラッピング列車を運行している。 (小和清水(こわしょうず)駅から美山駅間)

越前大野の名物「七間朝市」。新鮮な野菜や山菜などが所狭しと並ぶ。地元の人たちのコミュニケーションの場でもある。

 盆地の中ほどの小高い亀山の山上に越前大野城が見える。織田信長の家臣、金森長近が1580(天正8)年に築いた城は越前大野のシンボルで、町割は430余年を経てなお当時のままという。町の東の外れにある越前大野駅には、ホームの傍らに「駅清水[えきしょうず]」という清水が湧いている。越前大野は“名水の町”でもあり、周囲の山々の伏流水が町中のいたるところに湧き出している。そんな町の中心まで駅からゆっくり歩いても10分ほどだ。

 高いビルがないので、空は広々している。そして城を中心に碁盤目状の通りに沿って整然とつくられた町の佇まいはどこか凛としている。長近は、城の手前から順に武家屋敷、商人・町人町、そして一番東側に寺院を配し敵からの防御に備えた。今も16カ寺が並ぶ寺町通りは散策の人気コース。そして城を見上げる七間通りで400年以上も続く「七間朝市」は代表的な越前大野の風景の一つだ。

越前大野の味「名水そば」。地元のそば粉と町に湧き出る清水で打った蕎麦を大根おろし入りのつゆでいただく。また大野市は里芋が名産で、歯ごたえがあり、煮くずれしないのが特徴。

越前大野の泉町にある御清水(おしょうず)は、かつて城主の御用水として使われ「殿様清水」とも呼ばれ重宝された。

越前大野駅にも清水があり、「駅清水」と呼ばれている。

  通りには、造り酒屋、味噌や麹を商う古格の店が並び、路上では農家の方が朝穫りの里芋やカブなどの野菜、自家製の漬け物や佃煮を商っている。歩いていると「里芋穫れ過ぎたから、あげる」と呼び止められ、別の人には「柿、持っていき!」と両手いっぱいの柿を手渡された。

 越前大野にはまだそんな素朴な温かさが残っている。間もなく、町は雪ですっぽり包まれる。冬化粧前の荒島岳がひときわ美しい姿を見せていた。

越前大野城より望む別名「大野富士」とも呼ばれる荒島岳。「日本百名山」に選ばれる名峰。

地元のボランティアで結成された「越前こぶし組」。大野市役所の職員や民間企業の人たちで構成され、人力車で越前大野の町を案内する。大野市出身で観光振興課に勤める道鎭郁生さん(28)は、「観光のお客さんにはまちなか観光コースが人気です。人力車で花嫁を嫁ぎ先まで送る“寿運行”も地元の人に喜ばれています」と話す。

中世から近世にかけて建てられた寺院が建ち並ぶ寺町は、城下町の風情を今に残す。

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