ふるさとの祭り

「やっさ、やっさ」の囃子[はやし]が賑やかな夏祭り 三原やっさ祭り 8月第2日曜を含む金・土・日/広島県三原市(2011年は、8月12日〜14日に開催)

「見たか聞いたか三原の城は 地から湧いたか浮城か」
晴れやかな歌と三味線や鉦[かね]、太鼓などの
にぎやかな囃子にのって、
人々は軽快に足や手を踊らせていく。
広島県南東部、瀬戸内海に面した三原の夏祭りは、
440年もの歴史を誇るやっさ踊りで盛り上がる。
地域に根づく伝統文化は、
市民総出の祭りとなって継承されている。


踊りの列は、三原城本丸などがあった駅周辺を舞台に、築城の由来さながらのにぎやかな踊りを披露しながら進んでいく。「正調やっさ」と「創作やっさ」に分けて審査も行われ、参加チームはそれぞれ衣装や演出に工夫を凝らし、踊り競う。(写真提供:三原市)

浮城の町に受け継がれる祝い踊り

三原駅に飾られている『絹本著色登覧画図(妙正寺所蔵)』の陶版画。築城当時の三原城を中心に、佐木島をはじめとする瀬戸内海の島々が描かれている。

 三原駅の構内から続く階段を上ると、かつて瀬戸内海水軍の要害であった三原城の天守台石垣がある。三原城は、1567(永禄10)年、戦国随一の智将とうたわれた小早川隆景が、湾内の小島をつないで築いた海城で、あたかも海に浮かんだように見える姿から、浮城とも呼ばれた。隆景は城下の整備に力を注ぎ、その後も福島・浅野両氏の城下町として栄えた三原は、築城以来一度の兵火も受けずに明治維新を迎える。しかし、明治以降、町の近代化などを背景に城郭のほとんどは姿を消し、現在では新幹線上りホームに隣接する天守台のほか、本丸中門や船入櫓など、駅周辺に点在する遺跡のみが往時の名残をとどめている。

 毎年、9月に市内一帯で繰り広げられる「三原やっさ祭り」は、この地域に伝わる「やっさ踊り」を中心とする夏祭りだ。やっさ踊りは、三原城の築城を祝って老若男女が笛や太鼓を打ち鳴らし、祝い酒に酔って思い思いに歌い踊ったのが始まりとされ、「やっさ、やっさ」という囃子ことばから、その名がついたと伝えられる。踊りの原型は古くからの先祖供養の盆踊りにあり、列をなして踊り進む型を特徴としている。また、歌の原調は、九州を発祥地として各地の港町に広まったハイヤ節の流れを汲むものと考えられている。

今は公園となっている三原城天守台。天守は築かれなかったが、扇の勾配を成す石垣は高さ約15mもあり、雄大な規模を誇った。

郷土愛が育むにぎわいと伝統文化

 「やっさ祭り」が開催される頃の三原は、暑さの盛りという。3日間にわたってにぎわう祭りは、初日の「連れ弾き」で幕を開ける。早朝、東町と西町から出発した囃子方が、揃いの浴衣姿で三味線を弾きながら祭りの始まりを告げるように市内を流した後、隆景像の前で踊りを披露する。かつては、地域ごとの気ままな路地踊りであったものを、今日のように見せる踊りとして統一したのは1970(昭和45)年の日本万国博覧会の時。県の代表として踊りを披露したのをきっかけに、郷土の文化として見直されていったという。1976(昭和51)年には、それまで別々に行われていた踊りや花火などの行事をとりまとめ、「三原やっさ祭り振興協議会」と「三原やっさ祭り実行委員会」が中心となり、「三原やっさ祭り」として新たに始まった。今では、三十数万人の人出でにぎわう、中国地方を代表する夏祭りとなっている。

 やっさ踊りは、初日と2日目の夕方から夜にかけ、約8000人の踊り手が参加して駅周辺のコースを「やっさ、やっさ」と練り歩く。名称のある団体なら、企業や町内会、趣味のサークルなど参加は自由。保育園から中学までの子どもやっさチームも加わり、日頃の練習の成果を披露する。町の歴史を物語る祝い踊りは、ふるさとの祭りとなって次世代へと受け継がれている。

3日間にわたる祭りは、沼田川河畔で打ち上げられる花火で幕を閉じる。(写真提供:三原やっさ祭り振興協議会)

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