白波が寄せる現在の和歌浦片男波。万葉時代の和歌浦は無数の小島が浮かび、潮が引くと長い砂州と干潟ができた。

特集 西日本万葉の旅 紀伊国の海ヘの憧憬

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若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る 山部赤人

平城に都が移り、724年に23歳で即位した聖武天皇は、玉津島に行幸し、10日ほど逗留した。歌は随行した自然詩人の誉れ高い宮廷歌人、山部赤人が詠んだ長歌と2つの反歌のうちの一首で、和歌浦を写実的に鮮やかに描いた名歌として知られる。

和歌浦は和歌山市の南にあり、そこに和歌の神として尊崇[そんすう]されてきた玉津島神社がある。境内裏の小高い奠供山[てんぐやま]には赤人の歌碑があり、ここから眺める景色はまさに感動の一語。淡路島、四国までが一望できる。眼下には、湾曲した和歌浦と美しい浜辺が弓なりに続く。奠供山は今は陸続きだが、万葉時代それらの小高い山々は、湾に浮かぶ小さな島であった。足もとに見下ろす海岸は潮が引くと片男波の砂州と化し、干潟では無数の鶴や水鳥が餌をついばんでいた。

玉津島神社

古来より和歌の神として信仰を集める玉津島神社。境内には山部赤人の万葉歌碑がある。

その光景を赤人は写実的だが、印象派の絵画のように詠う。潮が満ち、沖からの風に送られて白波が寄せて来る。次第に砂州は消え、寄せる波に追われるように葦のしげる岸へと鶴の群れが鳴き渡っていく…。その点景を赤人は見事にとらえて詠む。風景はもう当時のようすと変わってしまっているが、奠供山から眺める和歌浦の風景は、赤人が詠いあげた万葉時代と変わらぬ詩情を今も残している。

白崎は 幸くありて待て 大船に 真楫しじ貫き また帰り見む 作者未詳

白崎

青い海と石灰石の岩の白が織りなすコントラストが美しい白亜の岬、白崎の風景。

和歌浦から有田川を越えて南へと辿ると由良に至る。この辺りの浦々の海岸は複雑に入り組み、険しい表情を見せている。岬を巡っていると、紺碧の海に突き出た真っ白な岬を目の当たりにする。歌に詠まれた白崎だ。

 海の青と白亜のコントラストが印象的な白崎は、海に浮かぶ雪山のようだ。歌の作者は不明だが、701年に持統天皇、軽皇子[かるのみこ](後の文武天皇)の紀の湯への行幸時に詠まれたもので、時代は律令体制が強固となり、後継者も決まって持統朝の安定した時期であった。

 海面に突き出してそびえる巨大な石灰石の奇岩に目を奪われ、驚嘆する都人のようすが伝わってくる。「船に櫂[かい]を」から察して、海路を行く船の上から白崎を間近に見たのだろう。そして行幸の帰りにもう一度、その神々しい姿を見たいものだと詠う。それはまた旅の無事を祈る気持ちを託したのかもしれない。

 船で沖に出て白崎に近づくと、その姿にますます圧倒される。水深は40mもあり、海は呑み込まれそうなほど神秘的な深い紺碧で、遠望するとその姿は荘厳。白亜の自然の造形を前にして人間の非力さを認めざるを得ない風景である。

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