Blue Signal
November 2009 vol.127 
特集
原風景を行く
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
美味礼讃
Essay 出会いの旅
赤木 明登
塗師。1962年岡山県生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。雑誌編集者を経て、88年石川県輪島市に移住。輪島塗職人に弟子入りし、94年独立。漆器のルーツを探り、和紙貼りに黒、赤、金彩の漆をかけるなど、独自の技法で制作。本堅地から拭漆までこなし、現代的かつ古典的なフォルムとテクスチャーの作品で知られる。国内外で個展を開いている。著書に『漆 塗師物語』(文藝春秋)、『美しいもの』『美しいこと』(ともに新潮社)。共著に『茶の箱』(ラトルズ)、『毎日つかう漆のうつわ』(新潮社)。
旅するお椀
 漆の器を抱えて、日本中を駆け回っている。「半工半商」といって、職人が塗った器を、自ら担いで出かけて売り歩くのは、問屋制度が発達する以前から輪島の昔ながらのやり方。家に座ったまま注文を受けて、仕事するだけの職人と違って、直接使い手と対面しているから、器に本当に必要なのは何かがよくわかる。ひとりよがりにならず、仕事に込める愛情と責任もいっそう深くなる。産地ではいつのまにか、職人と経営や販売をする人が分業化しすぎてしまったために、作り手側が何を作っていいのかがわからなくなってしまった。それが現在、産地が低迷している原因ではないかと反省しいる。そこで昔ながらのやり方に戻 てみようというわけだ。

 さすがに今では行商というわけにいかず、売る場所はギャラリーや器専門店での展覧会となった。声がかかれば、東へ西へ、何処へでも出かけていくが、漆の器の世界は圧倒的に西高東低。ここで言うのは冬の気圧配置のことではない。「漆の器が欲しい!」と求められるのは、どういう訳か西日本に偏るのだ。北日本、東北とは、残念なことにほとんどご縁がない。
 岡山では、生まれたばかりという赤ん坊を連れたお母さんが、熱心に小さなお椀を選んで行かれた。 「この子のお食い初めに使いたくて」とおっしゃる。それならば、一度だけの儀式に使うのではなく、もう少し大きくなっても使うことができるよう、やや小振りの椀をお勧めする。子ども用と言っても、塗りはきちんとしたものだ。

「小さな子どもに漆塗りはもったいない。ポイッと投げて壊してしまうよ」と、思われるかもしれない。その点はどうかご安心を。どんな小さな子でも「これは大切なものだよ」と、手渡してあげると、丁寧に扱ってくれる。壊れてもよいようにと、安物のプラスチック容器を与えるから、投げても平気になるのではないだろうか。毎日の食事で、器を丁寧に扱うようになれば、暮らしそのものが丁寧になっていく。そう考えてみると、椀という一つの道具が、子どもの性格にまで関わっていくことがわかる。道具は、それを所有する人の人格の一部になるのだ。

 輪島に帰ると、以前に子ども椀を買ってくれたお母さんからお便りが届いている。
「いつもと同じお料理なのに『きょうのごはん、おいしいね』なんて言ってくれるんですよ。お椀をきっかけにして、子どもとの会話も弾むようになりました。ありがとうございます」
 子どもは正直だ。漆の器が食べ物の味をおいしくさせてくれることを敏感に感じ取って、表現してくれる。そんな手紙を読むときほど、作り手としてうれしいときはない。

 神戸では、これから結婚するという若いお二人が、ひとつずつ揃いの飯椀と汁椀を買って行かれた。「自分たちの暮らし向きにぴったりと合うような、モダンな器を探していたんです」と、声をそろえる。きっと、お椀たちも一緒になって、二人の幸せな食卓を紡いでくれることだろう。

 奈良のお店では、入院中のおじいさんに使ってもらおうと、大中小、三つの鉢が入れ子になったのを買って行かれたご婦人がいた。「病院のプラスチック容器では、いかにも食事が味気なく、かわいそう」と、おっしゃる。「せめて、漆の器に入れ替えて食べさせてあげたいんです」

 後日またお手紙をいただく。

「末期の癌で、食事もほとんど摂れなくなってからも、このお椀でいただく味噌汁はおいしいと、口にしてくれました」

 身の引き締まる思いだ。お椀は、掌に乗る小さな道具だが、命の糧を運んでいるのだ。ますます精進して、良い器を作ろう。

 乳飲み子からお年寄りまで、漆の椀は人生というながい旅の良き友になるに違いない。
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