Blue Signal
May 2008 vol.118 
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豊岡駅 駅の風景【豊岡駅】
鞄の町にコウノトリが舞う
兵庫県下一の広さをもつ豊岡市は、
但馬国の中枢として古代から連綿と連なる歴史がある。
山々に囲まれ、自然が今も色濃い豊岡と、
少し足を伸ばして出石の歴史景観を訪ねた。
千年以上の伝統をいまに継ぐ鞄産業
 豊岡は円山川のほとりにある。下流には城崎温泉があり、すぐ先は日本海だ。内陸ながら海抜2mという豊岡の平坦な土地を円山川はゆるゆると流れる。ゆえに古代よりたびたび川は氾濫し人びとを困らせたが、河畔の低湿地に自生するコリヤナギという柳の木が豊かな恵みを町にもたらした。杞柳[きりゅう]である。

 柳の樹皮を編んで細工してつくる籠や、衣類を納める行李などを杞柳製品という。名の由来は、孟子の「人性ヲ以テ仁義ヲ為スハ、猶ホ杞柳ヲ以テ、 杯倦ヲ為ルガゴトシ」にちなみ、「自然のままの人性に、仁義の気質を持たせるのは杞柳を曲げ細工を作るようなもの」との意味がある。但馬の杞柳は記紀にさかのぼるほど歴史は古く、奈良の正倉院に御物として納められている「柳筥[やないばこ]」は但馬から献納されたという。

江戸時代、豊岡を領地とした京極氏は藩の殖産事業として杞柳産業の奨励と保護に努めた。上方や江戸に販路を拓いた結果、豊岡の名産として杞柳製品は全国に流通し、名声を得る。そして、近代化とともに杞柳細工は鞄[かばん]製造という新しい産業を派生し、大正、昭和、平成の今日も鞄産業は隆盛をつづけている。

 豊岡駅のほど近くにある宵田[よいだ]商店街は別名、カバンストリートという。昭和初期には三丹(但馬、丹後、丹波)随一の繁華街といわれた通りには、鞄職人の工房やショップが立ち並んでいる。ただ最盛期にくらべると、工房や職人は高齢化が進み、数がずいぶん減ったそうだ。しかし、近年では伝統を継ぐ若い鞄職人が次々に誕生し、地場産業を力強く支えている。
 
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ゆったりと流れる円山川の自然の恵みが、杞柳産業をもたらし、現在の鞄産業につながった。
イメージ 特別天然記念物のコウノトリが舞う豊岡の町は、アウトドアレジャーや観光を楽しむ多くの人で賑わう。
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カバンストリート(宵田商店街)に「かばん工房」を構える植村美千男さんは、豊岡鞄協会長も務める。注文に応じてハンドメイドで鞄をつくる一方、全国各地からお客さんが大切にしている鞄の修理も行う。「仕事の良い鞄というのは修理をすれば一生使えます。それが職人の腕と誇りです。今はその伝統を若い人に教えています」と植村さん。
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飛翔するコウノトリと出会える郷
 町のほぼ中央、カバンストリートの背後に神武山というお椀を伏せたような小山がある。山上に豊岡城跡、麓に陣屋址や武家屋敷など、わずかだが藩政時代の名残をとどめている。そして町を歩くと目につくのはコウノトリのポスターや看板だ。

 コウノトリは豊岡のシンボルで、市章にも図案化されている。町の対岸、円山川の向こうの里山にある兵庫県立コウノトリの郷公園では、コウノトリの保護と飼育、そして野生への復帰に取り組んでいる。日本から絶滅寸前だったコウノトリを捕獲し、人工飼育をはじめて25年目の1989(平成元)年に待望のヒナが誕生。以来17年の年月を経て、コウノトリが再び大空に羽ばたいた。現在は100羽ほどのコウノトリが生息している。フェンス越しに見るコウノトリは眩いほどに白く、大空に飛翔する姿は優雅で雄々しくさえある。

 35年ほど前の豊岡では、人家近くの里山にコウノトリが巣をつくり、空を舞い、水辺や湿地で餌をついばむのは普通に見られた光景だった。コウノトリと人々は自然に共生していたという。円山川の氾濫でできた低湿地帯と里山は恰好の棲み処だったのだ。生息環境という円山川の自然の恵みと、飼育に携わった多くの人びとの情熱がコウノトリの飛翔を甦らせたのである。
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空を舞うコウノトリは豊岡のシンボル。豊岡市民も一体となり、生息地域周辺の環境を整えている。(写真提供:豊岡市)
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兵庫県立コウノトリの郷公園は、コウノトリの保護と繁殖、野生復帰に取り組む拠点施設。広大な敷地内にある公開ケージでは、コウノトリを間近で観察できる。
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イメージ 神武山のふもと一帯には現在も風情ある町並みが残る。その一角に建つ旧豊岡県庁門(写真左)は、もともと久美浜県庁舎の正門だったが、1871(明治4)年、豊岡県に合併された際に移築されたもの。
 
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但馬の小京都、出石の城下を訪ねる
円山川をさかのぼると出石川と出会う。そこで足を伸ばしておきたいのが城下町と名物のそばで知られる出石の町だ。『古事記』や『日本書紀』にも記される古い町は、仙石氏7代が治めた出石藩の城下町。名物の出石そばは仙石氏が信州から国替えの折りに伝えたもので、通りには数多くのそば屋が軒を連ねている。時を告げる辰鼓櫓をシンボルとして町全体が歴史的景観で、「小京都」とも呼ばれるように情趣ある町並みだ。豊岡の町、出石の町ともども但馬路の欠かせない見どころだ。
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豊岡駅から足を伸ばして、城下町の風情が色濃く残る出石町を訪ねるのもいい。江戸時代に出石藩五万八千石の城下町として栄えた町並みがほぼそのままの姿で現存し、但馬の小京都とも呼ばれる。
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