Blue Signal
May 2008 vol.118 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
Essay 出会いの旅
白洲信哉
1965年東京生まれ。英国に遊学後、細川護熙元首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。一方で書籍、デザイン、美術展など日本文化のイベントのプロデュースも手がける。父方の祖父母は白洲次郎、正子。母方の祖父に小林秀雄を持つ。編著書に『小林秀雄 美と出会う旅』『天才青山二郎の眼力』(新潮社)、『白洲次郎の青春』(幻冬舎)、『祖母白洲正子の贈り物』『白洲正子の宿題 日本の神とはなにか』(世界文化社)などがある。本年は『週刊ポスト』に「日本の流儀」を連載中。
 北陸の味覚
 人生を旅に例える人もいるが、僕の場合は旅を日々のリズムに組み込んで生きている。最近は取材旅行が間々あるので、体調もすこぶるいい。が、どちらかと言うと、思いつきで地図を開き、京や奈良、近江の社やお寺を、のんびりと楽しんで歩きたい、と思っている。だが、毎冬目的を定めて必ず通う場所がある。福井、石川、富山、北陸三県食べ歩きである。

 きっかけは飲兵衛たちとの食い倒れ旅行だった。二十年ほど前、旅好きだった祖母は、居候していた僕を運転手みたいに使っていて、ある時、「荷物持ちについてらっしゃい」と一緒に新幹線に乗った。米原で北陸本線に乗り換えたときには、十人ほどの団体になっていて、すぐに宴会が始まった。持たされていた重たい荷物は、一升瓶だったのである。

 初めて見る冬の日本海は、大荒れの吹雪だった。「青い空と青い海」、地中海のように、ブルーの濃淡が美しいのと対照的に、「黒い海と黒い空」、凝視しているとアヤシイ気分になる。でも、これぞ正しく雪見酒なんだ、と感慨にひたる間もなく、車両は既にお座敷列車と化していた。いい大人が昼間から随分お酒を飲むんだなーとびっくりしながら、うつらうつらしていると、七尾という小さな町に着いた。雪が舞う中、知り合いの板前さんは見たこともない魚を前に、魚屋さんと値段の交渉をしている。それが今晩のおかず寒鱈だった。

 刺身や鍋にと、捨てるところがない。特に真子や白子のトロリとした味は絶品だった。他にも海鼠腸[このわた]や海鼠の卵巣を干した干クチコ、翌日はカキを剥いている牡蠣小屋に七輪を持ち込んで、能登牡蠣をたらふく食べた。どれも初見だったが、よく呑み食べ東京に戻っても暫くは、気が抜けたようで、食欲も湧かなかった。僕は堪能する、というのを信条としているが、海のものを堪能した初めての旅で、「すい場」という言葉も覚えた。京都の人たちが使う言葉で、自分だけが知っている内緒の場所、好きな友人にしか教えない遊び場だそうだ。京都千年の文化に感心することがたびたびである。

 それから欠かすことなく、「すい場」になった真冬の北陸を食べている。今冬は中学になる愚息を連れて、氷見という港町でメジマグロを食べた。「寒鰤の氷見」で有名だが、ブランドの大間マグロとはひと違った美味さがある。彼も気に入ったようで、携帯電話を取り出し店の番号を入れていたのが可笑しかった。氷見には夏に「梅雨マグロ」と呼ばれる美味があるともいう。東京で夏に酸味の利いた佐渡沖のマグロが食えるが、それと似たものだと夢想している。心が躍るネーミングに、いつか味わってやりたいと、てぐすねをひいているのである。
 この後、氷見から金沢、そして福井へと足を延ばし、僕は長年の懸案を果たすことも出来た。『日本書紀』に登場し、継体天皇の出身地「三国湊」である。越前は早くから開けたところで、朝鮮半島から先進の文化が輸入され、日本の表玄関であった。白い雪を頂く白山は、越前平野のどこからでも眺められ、長い間この地域の守り神として崇められている。きっと渡来人にとっても、海から絶好の目印であったことだろう。その白山から日本海に流れ込む九頭竜川河口にある三国は、詩人、三好達治が逗留し、また祖父母の友人であり、魯山人の開いた星ヶ丘茶寮の番頭であった秦秀雄の故郷である。七尾に行った折に祖母が、「あの蟹が忘れられない」と話していたことがずっと耳に残っていたが、長らく機会がなかったのである。

 僕は波音が響く旅館で、オスと小さなメスのズワイ蟹を堪能していた。刺身、焼蟹、湯で蟹とその甘さを堪能した。ここの蟹は毎年皇室に献上蟹を送っていることで有名だが、荒波の音に酔いながら、念願の旬の味を楽しむのは格別である。スーパーでは一年中同じものが並び、食べ物の季節感が乏しくなっているが、獲れた地で季節のものを食す。この当たり前のことをこれからも実践していきたい。それがまた旅の醍醐味でもあるのだし、わが国の食の多様性にも感謝せねばならない。
このページのトップへ