Blue Signal
March 2008 vol.117 
特集
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姫路駅 駅の風景【姫路駅】
白亜の巨城がそびえる町
姫路といえば姫路城が
あまりにも有名だが、
城を取り囲む町を散策すれば
姫路の魅力をもっと発見できる。
城下に今も残る風情と文化。
白亜の巨城を傍らに眺めながら、
城下を一巡り歩いてみた。
姫路は「万事富裕の国」の中心
 はじめて姫路駅に降り立つ人はたいてい「はっ」とする。その場に足をとめ、しばし目に映る風景に見ほれる。白鷺にたとえられる白亜の巨城が真正面にそびえている。大手前通りを進むに従い威容が迫ってくる。その姿は文字通り姫路のシンボル的風景だ。

 姫路の名の起こりは古く、奈良時代に編纂された『播磨国風土記』の神代の話のなかに「蚕子[ひめこ]」として登場する。古語では「ひめじ」と読み、難破した神の船に積まれていた「蚕子」が流れ着いた土地が姫路の由来だ。奈良時代には国府、国分寺が置かれ、書写山圓教寺も平安時代に開山。姫路は古くから播磨国の中心だった。日本各地の風土性を記録した『人国記』(年代、作者不詳)は播磨国をこう著している。「寒暑温和にして、万事富裕の国」。

 姫路城はまさに富裕の国にふさわしい姿形だ。しかし大戦の最中に、シンボルの姫路城は焼失の危機にさらされた。軍の施設や工業地帯を擁していた姫路は激しい空襲に見舞われ、池田輝政以来の城下町の大半は灰燼と化したが、姫路城は奇跡的に焼失を免れた。そんな戦時下の困難を経て今日の姫路城がある。
 
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姫路城の西側、船場川(左)と中濠(右)に挟まれた“千姫の小径”を歩く。千姫の小径は姫路城を横に眺めながら四季折々の自然を感じることができる散策ルート。
 
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駅を降りると、大手前通の先に建つ姫路城が圧倒的な存在感で出迎える。町の方々から見える優美な城の姿は昔も今も姫路のシンボル。
イメージ 古来より国府、国分寺などが置かれた姫路は、現在も商工業と観光の町として播磨地方の中心的都市だ。国宝・姫路城が世界遺産に登録されてからは、世界中から多くの観光客が訪れる。
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江戸時代に始まる商店街の歴史
 姫路城は三重の濠で囲まれ、城下町は中濠と外濠の間につくられた。残念ながら城下町の風情は戦災によって面影は薄らいでしまっているが、それでも町を歩けば歴史を偲ぶ手がかりは残っている。たとえば姫路駅はかつての外濠のほぼ南縁にある。大手前通りも昔のままの道筋で城の表門である大手門に通じる。

 濠内の町割りの多くは城下町の名残りがあり、現在も呉服町、塩町、魚町、忍町といった町名が使われているのも城下町ならではだ。なかでも大手前通りを東西に横切る二階町、西二階町商店街は江戸時代から西国街道(山陽道)の宿場として賑わった通りで、当時は珍しかった二階建ての商家が軒を連ねていたのでその名がある。大勢の人で賑わう姫路の代表的な繁華街で、和菓子屋など何代もつづく老舗も珍しくない。和菓子は城下町の文化で、今年4月には「姫路菓子博」が開催される。

 恒例の「ゆかた祭り」も姫路の城下町の文化だ。西二階商店街の路地を入ったところに長壁[おさかべ]神社がある。姫山の地主神で、ご神体は姫路城天守閣の最上部に祀られているが、風流人として知られた藩主榊原政岑[まさみね]が誰もが気軽に参拝できるようにと社を建てた。参拝には「無礼講でよい」との藩主の一言で、ゆかたを着て詣でたことから、この祭りが始まった。6月の祭りの日には大勢の市民がゆかた姿で町をそぞろ歩く。
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姫路の北西に位置する書写山圓教寺は、平安時代に性空上人によって開かれた天台宗の修行道場の寺。広大な境内に伽藍や仏像が点在する。
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城の南東には播磨国総社がある。本殿の後ろには播磨国の神様がすべて祭られていることから総社と呼ばれる。
市街地を東西に走る 西二階町商店街。 イメージ
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安藤忠雄氏の設計による姫路文学館には、播磨にゆかりの深い文人の資料や作品が展示されている。
姫路菓子博2008
25回目を数えるお菓子の博覧会が今年は姫路で開催される。全国のお菓子の展示や販売、菓子職人の技術披露などのイベントを開催。会期は2008年4月18日(金)〜5月11日(日)。
マスコットキャラクター  ひめか
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歴史的景観を残す船場・城西地区
 国道2号線の北側には、道に沿って中濠の石を積み重ねた土塁がつづく。西へ進むと船場川に出る。船場川は字のとおり、高瀬舟で物資を運んだ川で播磨灘に注ぎ、河口の飾磨には船着き場や米蔵があった。白鷺橋を渡ったところが船場・城西地区といわれる歴史的景観地区である。

 観光地図には「歴史と出会えるまち」とあるように、家並みに江戸時代の風情を偲ぶことができる。船場地区には寺社が多く、船つなぎ石など史跡を示す碑も少なくない。船場川に沿って北に足を伸ばすと姫路城絶景地の一つである男山。麓には歴代姫路城主が信仰した男山八幡宮、千姫ゆかりの男山千姫天満宮がある。

 天満宮の近くの閑静な住宅地に、姫路文学館がある。播磨に縁の深い文人と芸術を紹介しており、司馬遼太郎記念室もある。船場川を渡った姫路城の北には日本城郭研究センターや、兵庫県立歴史博物館、そして旧陸軍の倉庫だった赤レンガが鮮やかな姫路市立美術館など、姫路駅から歩いて城外をひと回りすると、姫路城下の大きさを実感できるはずだ。
 
現在の飾磨区近辺は姫路藩の外港だった。江戸時代は藩の米蔵と船着き場があり、船場川の水運を利用して物資の輸送を行っていた。 イメージ
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奈良時代からつづく甲冑師の明珍[みょうちん]家。姫路藩酒井家につかえて甲冑をつくってきたが明治維新とともに需要が途絶え、火箸をつくるようになる。火箸は茶人に愛用され、明珍火箸は姫路の伝統工芸品になっている。とくに火箸を組み合わせた風鈴はファンも多い。52代目の明珍宗理[むねみち]さんは「伝統の技をベースに新しい創作に挑戦していきたい」と話す。
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