Blue Signal
September 2007 vol.114 
特集
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うたびとの歳時記
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うたびとの歳時記 唐辛子の辛みは、素材の持ち味を引き立たせ、淡白な味つけのアクセントとなる。その赤い色にも視覚を通して食欲を増進させる効果があるという。
唐辛子は、旧暦7月から9月にわたる三秋の季語。
花のあと青い実をつけ、
秋には赤くつややかに色づく。
香辛料として、各地の郷土食に取り入れられ、
風邪予防や健胃のための生薬にも
用いられてきた。
江戸時代初期、連歌師として活躍し、
談林俳諧の盟主とされる
西山宗因[そういん]の句とともに
唐辛子と日本の暮らしとの関わりを
ひもといてみた。
暮らしに根づく辛みの効用
唐辛子はナス科の1年草で、中南米を原産地とする。1492(明応元)年のコロンブスの新大陸発見を機にヨーロッパへと広まり、その後インドや東南アジアなど世界中に伝播され、各地の食生活や嗜好に大きな影響を及ぼした。日本へは16世紀に渡来したとされるが、ポルトガル船によって鉄砲やタバコとともに伝えられたという説や、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に持ち帰ったとするなど、伝来経路には諸説がある。唐辛子の「唐」とは単に「外来の」という意味とされ、「唐菘」や「蕃椒」などとも記された。江戸中期の百科事典『和漢三才図会』(1712(正徳2)年)には、俗言として「南蛮胡椒」の名が紹介されている。また、収穫した実を天井から吊して貯蔵し、虫除けにもなったことから「天井守[てんじょうまもり]」という呼び名も残る。

最大の特徴は辛みであるが、日本では古来、辛いものを多食しなかった。しかし、新潟の「かんずり」や九州の「柚子こしょう」などの香辛調味料は各地に見られ、唐辛子は土地の食べ物とうまく融合しながら定着したと考えられる。漬け物やなれずしの保存、野菜のアク止めなど用途も多様である。さらに、唐辛子の普及は食生活だけにとどまらず、寒冷地ではその温感作用を活かし、足袋に入れてしもやけ防止にも用いられた。地域適応性に優れた唐辛子は、その土地の気候風土に合わせ、暮らし全般へと浸透していった。
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大阪天満宮の大門前にある「西山宗因向栄庵[こうえいあん]跡」碑。1656(明暦2)年、天満宮の傍らに庵を結んだ宗因は、『告[つぐ]天満宮文』を起草し、談林俳諧の隆盛を祈願したと伝えられる。
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日本の代表的な品種で、辛みの強い「鷹の爪」。辛みの主成分カプサイシンは、胎座と呼ばれる実の中央部で形成される。七味唐辛子には、収穫後中の種まで充分に乾燥させたものが用いられる。
すりこ木も紅葉[もみじ]しにけり唐がらし 宗因
一世を風靡した談林[だんりん]俳諧の祖
西山宗因は、1605(慶長10)年加藤清正の家臣西山次郎左衛門の子として肥後国八代(熊本県八代市)に生まれた。本名は豊一[とよかず]、通称を次郎作[じろさく]という。宗因は主に連歌の号に用いられ、俳諧では一幽[いちゆう]、西翁[さいおう]などと号した。1619(元和5)年、宗因15歳の時に八代城代加藤正方[まさたか]に小姓として出仕。当時の肥後八代の武家勢力は連歌文化への関心が高く、宗因は加藤家中の連歌愛好の気風に触れ、詩的才能を開花させていった。1622(元和8)年、18歳で初めて上洛。里村昌琢[しょうたく]の門に入り、正方の庇護を受けながら連歌修行に励んだ。その後、加藤家が改易の悲運に遭い、宗因も一度は浪人を経験するが、連歌の道に生き、1647(正保4)年には大坂天満宮連歌所の宗匠にまでのぼりつめた。

一方で、俳諧の修養にも努めた宗因は、貞門[ていもん]俳諧の祖、松永貞徳[ていとく]の高弟であった松江重頼[しげより]などと交遊。俳諧撰集『西翁十百韻[さいおうとっぴゃくいん]』(1673(延宝元)年)の刊行によって、名声を確立した。その軽妙で滑稽味の強い独特の俳風は多くの俳人たちを惹きつけ、貞門派に対抗する新しい流れを作り出していった。この宗因を師とする俳諧は談林派と呼ばれ、規則にとらわれた貞門の窮屈さから脱し、自由な形式で一瞬の情景を描写する作風は、以後の蕉風俳諧にも影響を与えた。唐辛子をすって赤くなったすりこ木を紅葉に喩えた冒頭の句は、見立ての奇抜さを得意とした宗因の代表作となっている。
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食文化に香味を添える
日本人になじみ深い香辛料に、七味唐辛子がある。唐辛子粉を主体に、漢方薬にも用いられる素材を配合し、1625(寛永2)年に江戸薬研堀[やげんぼり](浅草)で売り出されたのが始まりと伝えられる。京都・清水寺の門前に店を構える七味家本舗は、七味唐辛子を専門に商う老舗のひとつ。明暦年間(1655〜1658年)の創業以来、昔も今も変わらぬ場所で暖簾を守り続けている。薬研堀や長野善光寺門前と並び、日本の三大七味と称されるが、その7種の配合には地域特性が見られる。関東では、濃い味つけに合うよう、焼いた唐辛子を加え辛さを強調。長野では身体を温めるしょうがを配合する。一方、七味家本舗の特徴は、山椒をはじめ胡麻、紫蘇、青のりといった香り高い素材を用い、辛さよりも香りを重視する点にある。また、唐辛子も「鷹の爪」を中心に辛さの異なる数種類を調合し、味にまろみを出すという。京都では、煮炊き物やうどんだしも、昆布やかつおの風味をいかした薄味である。七味唐辛子も、こうした繊細な味わいをこわさないよう、辛みを抑え香りを引き立たせる絶妙の配合となっている。薬味としての唐辛子は、地域の食文化を反映しながら受け継がれ、今も食卓を豊かに彩っている。
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産寧坂を登りつめた場所にある七味家本舗。清水寺への参詣者や修行僧に、白湯に唐辛子の粉を浮かべた「からし湯」を振る舞っていたことから、七味唐辛子が創案された。
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