Blue Signal
September 2007 vol.114 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
Essay 出会いの旅
千 宗室
1956年京都府生まれ。同志社大学卒業後、臨済宗大徳寺管長・僧堂師家 中村祖順老師のもとで参禅得度、斎号「坐忘斎」を受く。祖順老師没後、妙心寺、盛永宗興老師のもとで参禅。
(社)京都青年会議所理事長(1991年)、(社)日本青年会議所近畿地区協議会会長(1993年)、(社)日本YPO会長(2004年)等歴任。
現在、京都芸術センター館長、京都造形芸術大学教授、同志社大学客員教授、(財)京都文化交流コンベンションビューロー副理事長等の公職を持つ。著書に『母の居た場所』『私の二十四節気日記』(共に中央公論新社)、『昨日のように今日があり』(講談社)等多数。
ゆるりとした旅
電車の中で酒を飲むのができない。日が高い間はもちろん、夜汽車の中でも駄目である。昼にどれだけ暑いメにあい、張り付いた咽喉の両壁がペタリと張り付いた状況になっても、車中では酒類に手が伸びない。



決して酒が嫌いなのではない。苦手なのでもない。むしろ好きなほうである。酒豪とか酒仙などの称号には縁がない。縁はないが、弱いわけではない。人並み、といったあたりだろうか。



休肝日を設けている。月に最低十日を目処とする。最低十日なのだから、年間百二十日になる計算だ。それで実のところ、ここ数年は百四十日の休肝日がある。日記をつけているので間違いない。多い月で十二〜三日酒が抜けている。我ながら見事だと思う。なんたる意志の強固さよ、と自賛する。それでいて、一抹の寂しさが漂うのは否めない。



肝臓が悪いわけではない。検査の数値は全て正常値だ。尿酸値も範囲内である。中性脂肪やコレステロール、その他あれこれ何一つ気になるところはない。



酒癖だって悪くない。クラブなんてところは苦手なので誘われなければ足を向けない。
普段は祇園町の二軒の酒場で飲む。どちらもカウンターだけの店である。ホステスはいない。だから落ち着ける。片方の酒場など大正時代から営業している。文化財指定しても何処からも文句が出ないような佇まいである。
どちらの店にもカラオケなどはない。微かな会話がBGMである。客も皆で居心地の良い空間を作ることに敏感だ。私はこういった店で飲み方を学んできた。それゆえ、自分が高歌放吟するようなことは皆無に等しい…と思っている。



と、あれこれ書き連ねてきた。だから、酒を控える理由はない。大いに飲んでかまわないのである。それなのに休肝日を設けている。それも年々増加の傾向にある。中年の域も奥に進み、用心深くなってきたのだろう。それと、飲む場所にこだわりを持つようになってきたのかもしれない。立食パーティーなどでも、まず飲まない。水かウーロン茶を片手に人込みを漂う。そこからどこかへ流れることはしない。そのまま帰る。だから、これでまた一日休肝日が増えることになる。払った会費は別として、こと肝臓に関しては「得した」とほくそ笑む。己の神経構造にどこか尋常ならざる欠陥があるのかも知れぬが、まあ気にしないことにしている。



原則として家では飲まないことにしている。そうなのだが、先述したパーティーなどで一回休肝日を稼ぐとその分が家に回る。
やはり家での酒が一番うまい。野球シーズンだと夕飯前に衛星放送で贔屓のチームのゲームを観戦しながらビールを飲む。食事の間はお菜にもよるが、だいたい清酒に換わる。量はたいしたことがない。ビールだと中壜一本ぐらい、清酒は飲んでもせいぜい一合半といった程度だ。外だとこれに洋酒が少々付け加わるが、そんなふうである。



電車の中では酒がいらないと認[したた]めた。それでも時折、ここで途中下車し一杯やりたいな、と思わせられる風情に出会うことは少なくない。例えば伯備線。高梁から井倉、新見あたりの景観にはたまらないものがある。ここで下ろしてくれ、と叫びたくなる衝動に駆られることもあるのだ。
近頃、窓外の風景は吹っ飛んでいくばかりだ。それを眺めようとするこちらにはおかまいなしである。その点、在来線はほっこりする。通過する駅のホームでうたた寝している老婆の姿が窓の前方から後ろへゆるゆると流れていく。出張する際、そこに向かう日程に少しばかりの余裕があり、且つ移動手段に選択肢が複数ある場合、私は昔ながらの路線を使うことが多い。そうして時折、のんびりした電車に揺られることがあってこそ、新幹線など文明の利器の有難さは一入のものとなっていくのである。
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