Blue Signal
November 2006 vol.109 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
大阪天満宮駅 駅の風景【大阪天満宮駅】
「天満の天神さん」とともに暮らす町
大阪キタの高層ビル街に隣接する天満は、
商人の町の風情を色濃く残す。
「天満の天神さん」と、
誰もが親しみを込めてそう呼ぶ。
天満宮とともに時を刻む商店街には、
大阪商人の心意気がいまも息づいている。
菅原道真公ゆかりの地
JR東西線は大阪キタの繁華街の下を東西に走る。1997(平成9)年に開業した路線は京橋駅と尼崎駅間の12.5kmを結んでいる。大阪天満宮駅の改札口も地下にある。

駅名の由来である大阪天満宮は、階段を上がって地上に出るとすぐそこだ。日頃、境内は人影もまばらだが天神祭や正月には大勢の人で混みあう。天神祭は「天満の天神さん」と誰からも親しまれる大阪天満宮の夏祭りで、日本三大祭のひとつに数えられる。

学問の神様として合格祈願の参拝者も絶えない。天満宮のご祭神は菅原道真(845〜903年)。学問に秀で右大臣の地位にまで上った道真だが、政争で都を追われ太宰府に流され、その地で生涯を閉じた。その道真の非運を慰めるために、太宰府への船待ちをした縁のあるこの地に社殿を建てたのが天満宮の創始で、平安時代中期にさかのぼる。

もちろん社殿は当時のままではない。何度も兵火に遭っている。江戸時代の記録に残るだけでも七度も火災で消失しており、現在の本殿は江戸時代の1843(天保14)年に再建されたものである。
イメージ
菅原道真公を祀る大阪天満宮は「天満の天神さん」として大阪の人々に親しまれている。境内には受験生たちの合格祈願の絵馬が無数にかけられている。
イメージ 京橋〜尼崎間を結ぶJR東西線。大阪天満宮駅は地下駅で、地上に出るとほど近くに大阪天満宮、天神橋筋商店街が南北を貫く。
イメージ 天神橋2丁目のアーケード入口では天神祭で船に飾られる「お迎え人形」をモチーフにした人形が出迎える。
イメージ 天満宮の南門を出て左手すぐに、文豪・川端康成生誕の地の碑がある。通り参道の突き当りが大川端。
地図
天下の台所を支えた天満の市場
大阪天満宮のすぐ南に淀川の支流である大川が流れ、天神橋、天満橋が並んで架かっている。現在、天満と呼ばれるのはこれらの橋から北側の、地下をJR東西線が走る国道1号線付近の東天満、天満、西天満一帯。オフィスビルと商店とが混在し、大阪の風情を色濃く残す界隈である。

もともと低湿地だったこの辺りに人家が立ち並び町が形成されるのは、豊臣秀吉が大坂城を築城し、城下町を整備したことによる。堺や近郷近在から商人を呼び寄せて商業を盛んにし、寺を次々と建立するなどして次第に大きくなった町は、大坂城北側の防御線の役目も果たした。

大坂夏の陣(1615(慶長20)年)以後の経済復興では、それまで以上に人口が集中し、商業が栄え、町は大いに賑わった。大川の水運を利用して海産物やさまざまな物資が流通し、とくに大川端の天満青物市場は「天下の台所・大坂」の商いの中心地として、日本経済を動かしていた。その活況もいまは河岸の遊歩道に立つ市場跡の石碑に偲ばれるだけである。

しかし、商人の町の賑わいは天神橋筋商店街に受け継がれている。南北に2.5kmの日本一長い商店街で、千余もの商店が並ぶ。この商店街の通りは昔も今も大阪天満宮の参道でもある。
天満橋から天神橋を望む。遠くに中之島のビジネス街。右手前の南天満公園の緑地一帯に天満青物市場があり、大川の水運を利用して運ばれた野菜や海産物などが荷揚げされた。今では市民の憩いの場として親しまれている。 イメージ
天神橋筋商店街は、大川から淀川まで南北に伸びる日本一長い商店街。天満宮の参道として古くから多くの人で賑わう。 イメージ
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天神さんを守る商人の心意気
天神橋筋商店街は、大川に架かる天神橋から数えて一丁目、大阪環状線の天満駅を通ってさらに北へ至って淀川河岸の天神橋八丁目までつづく。いろいろな店があり、店ごとにさまざまな商品が並び、「どうでっか」「まいどおおきに」という軽妙な大阪弁が聞かれる。

この界隈では、店主と客のやりとりまで漫才のように見える。物を売り買いするのも互いに楽しんでいるふうだ。店をのぞき、会話を楽しみながら歩く人も少なくない。それでも店主は「またおこし」と、決して嫌な顔一つせずニコニコと笑みを絶やさないあたりが、いかにも商人の町の接客、巧みな応対だ。

「天満の天神さんあっての商店街です」と、どの店主もそう話す。そんな商店街の人びとの心意気が天神さんを守り続けている。第二次世界大戦のさ中も、「天神さんを焼いたらあかん、守らなあかん」という商店街の人びとの懸命の消火活動が天満宮を消失から守ったという。

そして天神さんとともに暮らす町の心意気がまたひとつ誕生。大阪天満宮の敷地内に上方落語の定席小屋が60年ぶりに復活した。「天満天神繁昌亭」。昭和初期まで寄席小屋などで賑わったこの地に「笑いの殿堂」を甦らせたその陰に、天満界隈を盛り上げようとする天神橋筋商店街の人びとの尽力があったことをつけ加えておかなければならない。
天満天神繁昌亭は大阪天満宮のすぐ隣にある落語の定席小屋。町の活性化と上方の芸能文化の継承を願い今年9月に開設した。天井には、開設にあたり募金に協力した人々の名が記された提灯が一面に並ぶ。 イメージ
上方落語の殿堂「天満天神繁昌亭」の真向かいで娘夫婦がグリルを経営しているという二本木ツチ子さん。天満天神繁昌亭の完成に顔をほころばせながら、「もともと、この辺りは寄席小屋や芝居小屋、その後は映画館などが並ぶ賑やかなところでした。繁昌亭ができてこれからずいぶん賑やかになるでしょうね。私もじかに落語を聞ける楽しみができました」と話す。 イメージ
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