Blue Signal
November 2006 vol.109 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
Essay 出会いの旅
小栗康平
映画監督。1945年、群馬県生まれ。81年、宮本輝原作の「泥の河」で監督デビュー。アメリカ・アカデミー賞、外国語映画部門にノミネートされる。90年、島尾敏雄原作「死の棘」でカンヌ・グランプリ1990、国際批評家連盟賞をダブル受賞。寡作ながら海外での評価も高い。「伽子のために」「眠る男」など旧作四本がDVD-BOX「小栗康平監督作品集」、新作「埋もれ木」のDVDが松竹より出ている。著書に「映画を見る眼」(NHK出版)、「時間をほどく」(朝日新聞社)などがある。
旅の場面
映画の仕事は旅に出ることが多い。なにしろ撮影は、というより映画は、現実の「場」「場所」といったものがない限り成立しないからだ。シナリオ・ハンティング、ロケーション・ハンティングなどといって、企画の段階からあちこちを見て回らなくてはならない。撮影に入れば、地方に長期で滞在することも少なくない。

ロケでの撮影がまったくなく、すべてがスタジオの中で撮られる映画もなくはないけれど、それだって現実に模したセットという「場所」が必要になる。アニメーションは人物までふくめて「描かれたもの」だけれど、劇映画はそうはいかない。ということは逆に考えれば、役者という人物と同時に「場所」あるいは「風景」といったものを、私たちは映画で同時に見ていることになる。この「場所」や風景のもつ力は、映画ではとても大切である。
「ロード・ムービー」といわれるジャンルがある。人物が旅の途中で出会うなにごとかであったり、なにかの目的をもって移動する道中そのものの苦難を描くものであったりといろいろあるけれど、人物と「場」とを、旅という移ろいの中で見つめるものだから、一挙両得といったらおかしいけれど、映画のもつ特性をジャンルとして特化したもの、といえなくもない。ドイツの監督、ヴィム・ヴェンダースはこうした映画作りを得意とする代表格だろう。いつも旅をしている。異なる文化や文明を、いつも跨いで渡ろうとしている。それだけヨーロッパの価値観が揺らいでいるということかもしれない。デラシネとしてのヴェンダースが、そこにはいる。

私には旅の映画といえるものはないけれど、映画の中の一シーンとして、列車の中、という場面はある。「泥の河」で、田村高廣さんが京都の病院に前妻を見舞いに行った帰りの、夜汽車の中だ。いっしょに大阪に戻る今の妻は藤田弓子さんで、疲れから眠っている。田村さんは、遅くなって授かった幼い一人息子に語りかける。「お前が成人するまで生きてられるかなあ」と。息子は黙って暗い窓外に目をやる。汽笛が長く尾を引いて、鳴る。田村さんの手にしている新聞には「もはや戦後ではない」と書かれた経済白書の記事が載っている。そういう場面だ。

小さな旅であっても、私たちのこころは、ときに揺れる。住み慣れた家で語るより、旅の場面で語ることで、よりこころに触れる。こうしたことは私たちの実際の暮らしのなかでもあることだ。
風景が移動する、ただそれだけのことでいつもと違ってしまうのは、私たちの生そのものがとらえがたいからだ。人生を旅に例えるのはいささか野暮だが、先が分からないままで生きることの、どうにもならない悲哀は、たしかに打ち消しようもなく胸に迫ることはある。

夜汽車の中はセットで撮った。こうしたとき列車は動かさず、窓外の明かりを動かす。列車は揺れて進むだろうから、スタッフがセットの客車の下に丸太を差し込んだりして、人力で揺らす。大の大人が寄ってたかってそれをやる。端から見れば異様な光景かもしれない。細かなことではあるけれど「泥の河」では列車は揺らしていない。その分、リアリティには欠けるけれど、私はこの親子を、夜の箱といった抽象的な空間に置いてみたかったのだ。もう二十五年も前の映画であるが、まだそんなことを思い出せる。

難しいのは、列車や新幹線が走る場面の客観的な描写、である。人物がどこそこへ移動しました、といった説明的なものになりがちで、おもしろいと思える映像は少ない。交通機関の描写ではなく、映画はやはり、こころを描かなくてはならないからだろう。

列車も、私たちが生きる一つの舞台、だからだ。
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