Blue Signal
September 2006 vol.108 
特集
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うたびとの歳時記
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うたびとの歳時記 神事相撲は深夜にかけ、土俵の四方にかがり火が焚かれる中、「水なし、塩なし、待ったなし」の野相撲の形式で勇壮に繰り広げられる。(北國新聞社提供)
俳句歳時記によると、相撲は秋の季語。
平安時代の宮中では、年中行事として
陰暦7月に神事相撲が行われ、
その名残とされる。
秋祭りには、天下泰平・五穀豊穣を願い、
相撲を奉納する神社も多い。
談林派[だんりん]の俳人として活躍した
岡西惟中[いちゅう]の一句に、
日本文化としての
相撲の歴史をたどってみた。
神事と結びついた発展の歴史
相撲の歴史は、はるか古墳時代まで遡る。力士姿の埴輪や組み打ちのようすが描かれた土器など、相撲に関連する考古出土物は多い。また、相撲の起源として語られるものには、『古事記』(712年)にみられる出雲の国譲り神話である建御雷神[たけみかずちのかみ]と建御名方神[たけみなかたのかみ]の力くらべや、『日本書紀』(720年)にある第11代垂仁天皇の命による野見宿禰[のみのすくね]と当麻蹶速[たいまのけはや]の決戦があげられる。これらは、神話伝説ではあるものの、蹶速との取り組みに勝った宿禰は、今も相撲の始祖として祀られている。

「すもう」は、「あらそう」「あらがう」という意味の動詞「すまふ」の名詞「すまひ」が語源とされ、古くは格闘そのものを指していた。その本来の語義から、競技的・文化的性格をもった技芸へと発展していく過程で、重要な役割を果たしたもののひとつが農耕儀礼であったという。農作物を無事に収穫することが重要な時代、人々は豊穣を祈願して相撲を行ったのである。神前での勝負によって豊凶を占う神事相撲は、やがて宮中にも取り入れられ、平安時代には舞楽・饗宴などをともなう「相撲節会[すまいのせちえ]」が行われるようになった。諸国から集められた東西の相撲人[すまいびと]が宮廷において相撲を取り、天皇がこれを観覧。勝敗によって、東日本・西日本の農作物の豊凶を占っていた。

このように、相撲が宮中の儀式となる過程で、今日とほぼ同様の相撲技の形態が整えられていく。現在の大相撲の制度・規制などの多くは、この節会相撲に由来するという。さらに、室町時代末期には娯楽観覧のための職業相撲が発達し、現在の相撲興行の基礎ができていった。
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唐戸山資料室に残る「式内県社羽咋神社唐戸山相撲略図」には、明治時代の大関認定式のようすが描かれている。
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全盛期の明治時代には、遠く越後や佐渡からも力自慢の力士が集まり、見物人も数万人に上っていたという。
相撲場[すまふば]はみむろの岸のゆふべ哉 惟中
句に表れる談林派の作風
冒頭の句の作者は、江戸時代中期の俳人岡西惟中である。1639(寛永16)年鳥取の士族の家に生まれ、幼少の頃から書道、俳諧を好み、漢詩や和歌にも親しんでいたという。1669(寛文9)年、大坂の西山宗因[そういん]に入門。奇抜な着想や軽妙な言い回しを特色とする談林俳諧を学び、同派随一の論客としてそれまでの言語遊戯を重んじる貞門[ていもん]派に対抗し注目を集めた。

一日の取り組みが終わった夕暮れ時の相撲場の静寂を詠んだこの句は、平安時代の詩歌集『和漢朗詠集』にある「神奈備の三室の岸やくずるらむ龍田の川の水のにごれる」という歌をふまえて詠まれていると『日本名句集成』(學燈社1991年発行)の中で塩崎俊彦氏は解釈している。歌にある「くずる(崩る)」という言葉を意識的に隠した「ヌケ」と呼ばれる技法になっており、談林派の時代に流行した句法であるという。この場合の「崩る」とは、相撲見物に集まった群衆が散り散りに去っていくようすを指し、それまでの騒ぎがうそのように静まりかえった情景を詠っているという。この句から、江戸時代には庶民にとって身近な娯楽として相撲が浸透していたことがうかがえる。
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土俵に息づく神事相撲の伝統
能登半島の根もとに位置する石川県羽咋[はくい]市。100を超える古墳が点在し、神話の町と称されるこの地には、二千年にわたって連綿と続く神事相撲がある。羽咋神社の祭神、磐衝別命[いわつくわけのみこと]の命日とされる9月25日には、能登・加賀・越中の地元力士が唐戸山[からとやま]相撲場に集い、深夜にかけて古式に則った相撲が奉納される。伝承によると、垂仁天皇の皇子である磐衝別命は、この地で仁政を敷き、武芸鍛錬に相撲を奨励したという。その遺徳を慕って、毎年の命日には北陸各地から力自慢が集まり、相撲を取って神霊を慰めたのが由来とされている。唐戸山の神事相撲は、「水なし、塩なし、待ったなし」のいわゆる野相撲の形式で行われる。結びの一番で大関の位を得た力士は、他の力士たちの組む「馬」に乗って、約1kmの参道を走って羽咋神社に駆け込み、神社からは幣帛[へいはく]や相撲の由来書などが授与される。また、地方相撲の「親方」の称号が与えられ、地元の指導者としての資格を得ることから、大関には力だけでなく人格も必要という。庶民の娯楽が禁じられた江戸時代、相撲を禁止した加賀藩でも、唐戸山の神事相撲は別格とし、これを許可していた。歴史を誇る神事相撲は、2001(平成13)年に羽咋市の無形民俗文化財に指定され、その伝統を後生に語り継いでいる。
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奈良県桜井市にある相撲神社は、野見宿禰と当麻蹶速が日本最初の天覧相撲を行ったとされ、国技発祥の地と伝えられている。
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