Blue Signal
January 2005 vol.99 
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天王寺駅 駅の風景【天王寺駅】
通天閣の灯を見つづける駅
聖徳太子ゆかりの四天王寺。
そのお膝元の天王寺界隈は今も大阪の大阪たる独特の文化を醸しだす。
そこに暮らす人々は飾らず、構えず、気取らず、ざっくばらんで人情に篤い。
天王寺駅から坂を下り、通天閣のある新世界を歩いた。
気取らない“普段着”の天王寺
大阪市の中心部を円で囲むように走る大阪環状線。天王寺駅はその南の起点であり、和歌山や奈良とも通じる。そんな大阪南部のターミナル駅周辺は、大阪駅周辺のちょっと気取った「キタ」とは異なる、人なつっこくて誰にでも気さくな“普段着”の大阪を肌で感じられる街である。

人でごった返す駅構内の空気も、どこか大衆的で親し気だ。立ち止まって地図を広げていると、おばあちゃんが「どこ行くの?…それやったらあっちやで」と気軽に声をかけてくる。わざわざ駅の外に案内してくれ、「ほらあそこ!」と、指さす向こうには通天閣が聳えていた。

駅からだと、目の高さあたりに通天閣の展望台が見える。駅は台地上にあり市街地を見渡せるほどに標高差がある。とくに夕焼け時の眺めは格別だ。通天閣と大阪の街が夕陽に染まった光景は「胸がきゅんとするで。ほんまええ景色やさかい」とおばあちゃん。

駅前から北に歩くと10数分で四天王寺へ。通天閣へは大通りを西に渡り天王寺公園に入って、大阪市立美術館や天王寺動物園の傍を通り、ゆるゆると長い坂を下りたところにある。
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通天閣と対面するように建つ天王寺駅。大阪環状線ほか、奈良・和歌山とを結ぶ大和路線、阪和線の起点として大阪駅に次ぐ交通の拠点。駅周辺には流行のさまざまなショッピングビルやプレイスポットが数多く、大阪の若者文化を発信しつづけている。
イメージ 沈む夕陽に赤く染まる天王寺の街は美しく、どことなくセンチメンタルだ。
イメージ 大阪のシンボルである通天閣は、パリのエッフェル塔と凱旋門を足して1つに模したものだ。
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天王寺公園一帯は元は住友家の本邸のあったところで、住友家の庭であった慶沢園はそのまま公園内の庭園として公開されている。広大な和風庭園は都会のオアシスとして訪れる人の心を癒している。
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天王寺公園内にある大阪市立美術館は、東洋と日本美術のコレクションを中心とし、中国絵画・陶磁・漆工・仏教美術、さらに近代絵画…大阪出身の洋画家、佐伯祐三コレクションを含め約800点の収蔵品をほこる日本でも有数の美術館。
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天王寺駅の向かいにある天王寺公園は、市民の憩いの場として昔も今も大勢の市民に親しまれている。文化的香りのする公園と新世界とが隣接している混沌が面白い。
通天閣は今も変わらぬ大阪の象徴
坂を下ったそこが「新世界」だ。盛り場のど真ん中に聳える現在の通天閣は二代目で、塔の高さ103m。大阪城と並ぶ大阪のシンボルである通天閣は、老若男女を問わず、大阪の人が心の中につねに抱いている「原風景」といっても大袈裟ではない。

初代が建てられたのは明治の末期。「第五回内国勧業博覧会」が開催された跡地に、大阪の財界有志が、パリとニューヨークを足して二で割ったような、モダンでエンタテイメントな街をつくろうと構想する。そしてパリのエッフェル塔に倣って建てられたのが通天閣だ。

今ふうに言うと、テーマパークのような街の様子は流行の最先端で「大阪の新名所の一たる新世界」と呼ばれ、大阪中の活気を一堂に集めたような賑わいだった。通天閣はまさに近代大阪の発展の象徴だった。が、第一次大戦後の経済恐慌で活気が失われ、さらに1943(昭和18)年の火災で通天閣そのものが消失してしまう。

ふたたび大阪の夜空に通天閣の光が煌々と輝くのは1956(昭和31)年。通天閣本通り商店街で本屋を営む主人は、当時の様子を「嬉しいてほんまに涙が出ました。ぎょうさんの人であふれてましたよ」と語ってくれた。
新世界は将棋の坂田三吉の故郷。ジャンジャン横丁の将棋センターには腕に覚えのある“名人”たちが集う。 イメージ
商店街にモダンジャズが流れる。老舗の履物店の店主・澤野さんはジャズ好きが高じて澤野工房というジャズレーベルを立ち上げ発掘したヨーロピアンジャズを発信。「新世界…よろしいなあ、ここは」と話す。 イメージ
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大阪の人情を教える“語り部”の街
新世界の空気は開放的だ。そこに漂うのは「遊びの精神」。大阪弁で「まあまあ、堅いこといわんと」という精神で、よそよそしく飾ることも肩ひじを張る必要もない。誰でもおおらかに迎え、「どこから来たん?」の一言ですぐに親しくなってしまう不思議な力がある。

この街の空気に触れ、一度馴染んでしまうとたちまち人の情の厚さ、袖擦りあう人と人との温かな触れあいの機微が分かる。「いっぺん来てみたらええねん。こんな気楽なとこあらへんでえ」と、新世界市場のおじさんはニカっとした笑顔で快活に言い放った。

最近では若い人らも集まりはじめた。バックパックを背負った若者の姿も目立つ。若い女性が、おじさんたちと並んで新世界名物の串カツ屋のカウンターであつあつの串カツを口にほおばっている光景も今では珍しくない。

観光に来た女子大生は「キタよりこちらのほうが大阪のイメージで楽しい」と実に屈託がない。こうして若者たちが増え、新世界も新しい姿に変わりつつあるが、この街は昔も今も、そしてこれからも大阪の“語り部”でありつづけることに変わりはないだろう。
ジャンジャン横丁の名物、串カツ屋は朝から満員。最近は観光客の若い子で賑わっている。 イメージ
地図
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