Blue Signal
January 2005 vol.99 
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特集[天王寺] 四天王を祀る聖徳太子の聖地
天王寺七坂、寺の町
笑いと人情、上方文化を育んだ生玉さん
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天王寺の西方に陽が沈む。古代人も見たこの風景は、時代とともに景観が変わろうとも、時空を超えた難波[なにわ]の象徴である。
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もう少し、北へ進む。生國魂神社の大鳥居が見えてきた。

元は大坂城付近にあり、寺町と同様、秀吉の築城計画に沿ってこの地へ移ってきた。完成は1585(天正13)年。大坂城の鬼門にあたり、ここも大坂城防衛戦略に組み込まれていた。“都市プランナー”秀吉は、ここを城の盾とするだけでなく、刀づくりのための鍛冶屋職人、瓦職人や大工さんなどを集めた技能集団の町に特化させた。生國魂神社境内にある金物や釜戸の神である鞴[ふいご]神社は、製鉄、金属業界の守護神として11月の例祭には多くの大手製鉄メーカーがやってくる。家造祖[やづくり]神社にはゼネコンのトップが集う。

生玉さんは大阪の総鎮守として崇敬されているとともに、上方芸能と深いかかわりがある。

軽口噺[かるくちばなし]や役者の物まねを演じていた米澤彦八は、京の人気者、露の五郎兵衛とともに元禄年間(1688〜1703年)にここ生玉さんの境内で活躍した。五郎兵衛が「聴衆を前にして口演する」というスタイルを打ち出し、現在の落語の形態をつくる。このため「上方落語の祖」と仰がれ、彦八は「大坂落語の始祖」と位置づけられている。二人の芸風はどう違ったか。「五郎兵衛が先行の噺から材料を多く得ていたのに反し、彦八のは創作が多く、この点などに彦八の意気ごみがうかがえる。彦八はただ軽口噺を口演するだけでなく、むしろ身振りをまじえた『しかた物真似』を本領とした」と、大阪の郷土研究家・肥田晧三氏は『上方学藝史叢攷』で考証する。

境内にある彦八記念碑近くの舞台で、この偉業を偲んで催す上方落語協会の「彦八まつり」が、2004年の秋で16回を数え、2日間で延べ10万人が境内を埋めた。

そして、生玉さんで忘れてならない芸能は浄瑠璃・文楽である。境内には芸能上達の神「浄瑠璃神社」があり、近松門左衛門をはじめ、三味線、人形遣い、太夫の文楽三業の物故者が祀られる。

近松はこの境内を「曽根崎心中」の舞台に仕立てた。この時代は衆生の身に対し、仏の姿になって功徳を説く観音信仰が盛んとなり、「曽根崎心中」も「観音廻り」の段から始まる。天満屋の遊女お初が、上町の坂を行く描写を「曽根崎心中」から拝借しよう。「坂の上りはしゃなしゃな、下りはちょこちょこ、上ったり下ったりして谷町筋を行く。歩きなれず行きなれぬので、姿がくずれて、ああ恥かしや。裳裾が乱れて、はらはらはら。はっとするのを、われにかえってうちかき合わせ、ゆるんだ帯を引きしめ、引きしめして」。

やがて、お初は生玉社前の茶屋で馴染み客の徳兵衛に出会う。深く契って、末を約束していた二人だが、徳兵衛にかかった借財の嫌疑をはらすことができない。「生玉社前の段」では、お初がこの件を知り、その後奔走するのだか、二人の力ではどうすることもできず、ついに曽根崎の森で心中をとげる。それまで勧善懲悪が主だった文楽に、庶民ものを取り入れた近松の手腕がうけた。やがて道頓堀に豊竹座がうまれ、芝居小屋八軒は日本一の規模となる。近松の功績は文楽だけでなく、道頓堀の再興にも尽くしたことにある。

上町台地に現世の風が吹く。超高層マンションやビルの出現である。街づくりにも心を砕いた秀吉や近松にとって、いささか当惑する都市景観であろう。「どうも、周辺の風景が乾いた感じ」と、生國魂神社・権禰宜[ごんねぎ]の中村文隆さんが残念がる。中村さんはせっせと、境内に若木を植えている。出産、結婚などの参詣者から記念樹を受けつけ、往時の「生玉の杜」の復活を願っている。

四天王寺は、世界文化遺産の登録に向けて動き出した。人の道を説き、異なる思想を融合させた平和思想と、四箇院制度に代表される福祉施策。「物や形はいずれ消える。平和、福祉という創建の思想こそ遺産に値する」と。これが天王寺に根づく精神性だ。

未来を見据え、天王寺文化の次なる創造への胎動が始まった。
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豪壮な三破風づくりの生國魂神社・本殿。創建当時、大阪湾の海の上から見える雄姿は、威厳を示すシンボルとなっていた。
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絵馬堂があった本殿奥には、今は4つの社が並ぶ。往時には茶店が軒を連ね大いに賑わった。
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生國魂神社参道。近松門左衛門や井原西鶴が活躍した江戸時代元禄期には、芝居小屋や茶店が建ち並び多種多様な芸能興行で賑わった。
笑いと人情、上方文化を育んだ生玉さん
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生國魂神社境内にある「浄瑠璃神社」。芸能上達の神様で、文楽関係者はもとより、日本舞踊や琴などのお稽古ごとの上達を願う参拝者が多い。
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生國魂神社境内の南坊跡に建つ井原西鶴座像。『好色一代男』『世間胸算用』などで知られる西鶴は、1680(延宝8)年に一昼夜をかけて矢数俳諧を行い、この場所で一人で四千句を詠み上げた。
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同神社本堂横に建つ「米澤彦八の」碑。大坂落語の始祖で、役者の身振りや声色の真似を真髄とした。
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