Blue Signal
March 2005 vol.100 
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食歳時記 くぎ煮
くぎ煮
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港にもどる船のエンジン音や漁船に群がるかもめの鳴き声など、垂水漁港のいかなご漁の様子は、環境省の『残したい日本の音100選』にも認定されている。
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新鮮なほど、炊き上がりが折れ釘のように曲がるというくぎ煮。鮮度が命のいかなごは、漁場から港へ、港から地元の魚屋へと、素早く運ばれていく。
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煮崩れしやすいため、アク取り以外は一切触れず、強めの火力で炒り煮にするのがコツという。講習会への参加者は、延べ2,000人以上にのぼっている。
春まだ浅い3月。神戸や明石の各家庭で、いっせいに作られるものがある。いかなごの稚魚を使った、「くぎ煮」と呼ばれる飴炊きである。浜揚げされたばかりの新鮮ないかなごを、醤油、砂糖、みりん、しょうがなどで炊き上げるこの地域の名物。地元の主婦たちは、3月の声を聞くと、くぎ煮作りの大鍋や調味料などを揃え、いかなご漁の解禁を待ちわびるという。家々から立ち込める甘辛い香りは、まさに春の風物詩。地域に根づく、季節限定の味のルーツを探ってみた。
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瀬戸内に春を告げる魚
いかなごは、スズキ目イカナゴ科に属する体長20cmほどの細長い魚で、小女子[こうなご]、女郎人[めろうど]など、地方によって呼び名が変わる。いかなごの名前の由来には、“いかなる魚の子なり(何という魚の子か)”からきたとする説や、『かな』が糸という意味の古語であることから、糸のように細長い魚を表すなど、諸説がある。漢字では「子」のほか、水面を長い群れ(玉)をなして泳ぐことから、「玉筋魚」という字があてられる。

きれいな砂地を好むいかなごは、瀬戸内海では主に、明石海峡から播磨灘に広がる「鹿の瀬[しかのせ]」や神戸沖の「上瀬[かみのせ]」などの浅瀬に生息している。夏の間は砂の中に潜って過ごす習性があり、水温が14度に低下する12月下旬から翌年1月にかけて産卵する。2月下旬頃には、体長3cm前後の稚魚に成長するが、これをシンコ(新子)と呼び、くぎ煮にはこのシンコが使われる。くぎ煮として使うのは5cm未満のもので、大きすぎると煮崩れをおこし、味も変わるという。頃合の稚魚が獲れるのは、わずかひと月程度。生後1年以上たったものは、体長10cm以上に成長し、フルセと呼ばれるようになる。
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“新しい伝統の味”を育てる
炊きあがった姿が、折れ曲がった古釘に似ていることから名づけられたというくぎ煮。地元の漁家では昔から食べられていたそうだが、一般には知られていなかった。大正から昭和の初めにかけての食をまとめた『聞き書 兵庫の食事』の〈淡路の食〉にはくぎ煮の記載がみられ、また、戦前の兵庫で料亭を営んでいた、魚谷常吉の料理書『滋味[じみ]風土記』には、生醤油と砂糖で煮つめた「玉筋魚釘煎[いかなごくぎい]り」が紹介されている。主に、「釜揚げ」や「かなぎちりめん」として食べられていたいかなごを、くぎ煮という新しい調理法で広めていったのは、神戸・垂水の漁業関係者だといわれる。神戸市漁業協同組合の女性部では、各家庭で思い思いに作られていたくぎ煮を研究し、漁協女性部として作り方を統一した。さらに、地元に伝わるおいしい食べ方をより多くの人たちに知ってほしいと、1989(平成元)年からは毎年、「くぎ煮講習会」を開催している。今では神戸市内だけでなく、大阪や奈良など、遠方からの参加者も多いという。最初の普及活動が始まって以来約20年。“新しい伝統の味”は、神戸から関西全域へと広がっている。
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鮮度のよさが味を決める
いかなご漁は、船曳き漁といって、網船2隻と運搬船の3隻がひと組になって行われる。いかなごは潮流と潮流がぶつかる潮目に集まることから、明石海峡付近が好漁場。漁が始まると、狭い海峡の航路に沿って漁船がびっしりと並ぶため、一般の船舶も漁船を避けながら航路を反航することもあるという。2隻の網船が大きな袋網をゆっくりと曳き、潮流によって潮の淵に寄せられたいかなごを一網打尽にする。シンコは足が速く、浜揚げされてから数時間で味が変わるため、運搬船が素早く港へ運ぶのである。朝暗いうちから出港し、夜明けとともに網入れが始まる。最初の運搬船が港に戻ってくるのは午前8時頃。入札を終えると、いち早く地元の魚屋の店先に並べられる。この時期、魚屋の前には、朝一番に買って午前中に炊きあげようと、入荷を待ちわびる長い行列ができるという。こうして、くぎ煮作りが地域の春の恒例行事として定着しているのには、いかなごの資源管理をめざし、解禁日や網揚げの日などについて、細かな取り決めを行っている漁業関係者の努力がある。シンコ漁の解禁は、平年では3月上旬頃というが、その年の産卵や成育状況を見極め、試験操業をした後の網おろしとなっている。

くぎ煮作りの輪が一気に広がったきっかけは、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災という。いかなご漁を控えた1月17日、漁師たちも被災したが、時期が来ると漁に出た。炊く人も少ないだろうという予想に反して、魚は売れた。保存食であるくぎ煮は、炊き出しとして重宝され、また、お世話になった方々へのお見舞い返しとして、各地に送られていったという。くぎ煮の甘辛い味には、万感の思いが込められていた。
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