Blue Signal
November 2004 vol.98 
特集
駅の風景
食歳時記
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陶芸のふるさと
鳥取駅 駅の風景【鳥取駅】
“ととりべ”に由来する32万石の城下の駅
古代には因幡の国の中心として
大和朝廷とも深い結びつきがあった鳥取。
長い歴史が培った風土と町には、
語るべきいくつもの魅力がある。
久松山に大藩の姿を残す
イメージ 高架式駅舎の近代的な鳥取駅は山陰路への旅の起点で、関西圏や岡山と特急で結ばれる。
鳥取の名の起こりは奈良時代。白鳥や鶴を捕獲し朝廷に献上する職能集団が辺りに暮らしていた。『古事記』にも登場する彼らを鳥取部[ととりべ]と呼ぶ。鳥取とはこの鳥取部にちなむ古の響きである。

現在、鳥取と聞いて連想されるのは「砂丘」だろう。日本中から大勢の観光客が訪れる。しかし、鳥取駅前の商店主は「砂丘のほかに、良いところはたくさんあるんです」と話す。古くは因幡の国の国庁が置かれ、戦国時代から江戸時代には名だたる城下町でもあった。

駅前からつづく本通りを北へ進むと、すぐに久松山がたちはだかる。明治になって廃城になるまで、山頂から麓には天守閣、本丸など豪壮な城郭があった。一般にあまり知られていないことだが、禄高32万石の鳥取藩は全国の大名中でも13番目に数えられる大藩だった。

険しい斜面の久松山に登ると、城を中心に碁盤目状に町割りされているのが分かる。二百数十年の城下町の歴史を今に伝える風景だ。
イメージ 自然の芸術である砂の風紋が幻想的な鳥取砂丘。
イメージ 久松公園鳥取城跡内にある久松公園は市民の憩いの場。
イメージ 久松山から市街を望む。険しい山頂には鳥取城の天守閣があった。山上から眺めると町の姿は城下町当時の町割りがそのままだ。
イメージ 久松公園内にある仁風閣は明治40年に旧藩主池田家の別邸として建てられたフレンチ・ルネッサンス様式の明治建築の傑作。
地図
用の美「民藝」のふるさと
市街は旧袋川が南北に分け、川の北側がかつての城下町。ただ、家並みに旧観が見られないのは、度重なる大火と昭和13年の鳥取大地震によって、市中の建物のほとんどが消失してしまったからだという。

それでも城下の面影はわずかに残った。風格のある武家門、馬場町に残る岡崎邸は江戸時代からつづく武家屋敷で、通称「山の手通り」と呼ばれる界隈には、城下町の情景にとんだ小道がつづき、近ごろは、城下町・鳥取を「もう一度見直そう」という動きもある。

「民藝」も、鳥取の文化を語るのに欠かせないキーワードだ。名も無き職人の手仕事の「用の美」を全国各地を旅して再評価した柳宗悦が、バーナード・リーチらとともに創始した民藝運動。庶民の生活から生まれた民藝の美を高く評価する新芸術運動だ。

鳥取はその民藝運動が根づいた「民藝のふるさと」である。宗悦を師と仰ぎ、鳥取の民藝運動に尽力したのは吉田璋也という地元の医師。鳥取駅近くには氏が創設した鳥取民藝美術館がある。
箕浦家武家門。城下町の風情を今にとどめる江戸時代そのままの武家門は市の文化財。 イメージ
鳥取民藝美術館。鳥取駅近くにある白壁土蔵造りの館内には鳥取地方に古くから伝わる民藝品をはじめ国内外の民藝コレクションが陳列されている。 イメージ
「万年筆博士」は、国内はむろん世界中からオーダーメイドの注文が寄せられる、知る人ぞ知る万年筆屋さん。 イメージ
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いまも愛唱される音楽家の郷土
かつて武家屋敷があった西町の閑静な住宅街を歩いていると古い図書館を改築した「わらべ館」がある。観光客も大勢訪れるというので立ち寄ると、そこで意外な事実を知ることになった。

♪うさぎ追いしかの山〜。誰もが聞き覚えのある『ふるさと』。♪大きな袋を肩にかけ〜の『大こくさま』に、♪まさかりかついだ〜『きんたろう』と、どの唄も、日本人なら一度や二度口ずさんだことのある愛唱歌である。

作曲者は順に岡野貞一、田村虎蔵、永井幸次。鳥取出身の3人の音楽家によって数々の名曲がつくられたというのはあまり知られていない。館長さんは「郷土の誇りです。今後も童謡・唱歌のふるさとづくりに、力をいれていきます」と語る。

町で出会った人びとは、鳥取人の気質を「素直で謙虚」と答えた。郷土自慢はたくさんあるのに、自慢するのが気恥ずかしく得手でない。だから鳥取に来て「本当の良さをもっと知ってほしい」というのである。奥ゆかしさは城下町の気風だろうか。
わらべ館は童謡・唱歌や、世界のオモチャが展示されている。 イメージ
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