Blue Signal
September 2004 vol.97 
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高岡駅 駅の風景【高岡駅】
霊峰を望み万葉の風情にふれる
能登半島の東の付け根、富山湾に抱かれた高岡の自然・風物は
万葉の歌人を魅了し、数多くの歌を『万葉集』に残す。
また、加賀藩前田家ゆかりの城下町は約400年の歴史を重ねつつ、
今も豊かで多彩な文化を醸成しつづけている。
家持が詠んだ万葉の風景
イメージ 高岡駅の開業は明治31年11月1日で、東西に北陸本線、北には氷見線、南には城端線が走る。京阪神方面から高岡へはサンダーバードが便利。
高岡には多彩ないくつもの「顔」がある。一つは万葉ゆかりの地である。

奈良時代、富山湾に面した伏木には越中の国府が置かれ、歌人・大伴家持は国守として都から赴任した。746(天平18)年から5年間の在任中に、高岡の自然や風物を220首の歌に詠み、『万葉集』に所収されている。

高岡駅前には家持の立像がある。『万葉集』に「澁谿[しぶたに]」と詠まれた「雨晴海岸」は歌人を魅了した風景の一つだ。国定公園の海岸には、地名の由来である源義経伝説が残る。源頼朝の追手を逃れて奥州へと落ちのびる途中、義経一行はにわか雨に遭い、海岸の岩陰で雨宿りしたと伝えられている。訪ねた日も小雨もようで、義経主従のように岩陰で雨宿りをした。

晴れた日には、富山湾の向こうに、冠雪の北アルプスの霊峰が屏風のごとく連なる壮大な景色が眺められる。その峰々は、万葉の時代とほとんど変わらぬ姿を見せているはずだ。

家持が歌に詠み、傷心の義経が辿った海岸に佇むと、ふと時空を旅するような不思議な気分にとらわれるにちがいない。
イメージ 高岡駅前に立つ大伴家持像。万葉の歌人、大伴家持は高岡の豊かな自然や人情を220首の歌に詠んでいる。
イメージ 国定公園「雨晴海岸」から望む冠雪の北アルプス。中央の岩が義経一行が雨宿りしたと伝えられる義経岩。義経岩の左に見えるのが剣岳、右に連なるのが立山連峰。
地図
前田家ゆかりの伝統文化
高岡が町として形成されたのは、1609(慶長14)年。加賀藩二代藩主、前田利長が高山右近の手を借り高岡城を築城したのに歴史は始まる。その後、町を育てたのが三代藩主の利常だ。町を歩くとそこかしこに、利長以来の歴史、文化が今も息づいている。

「金屋町」もその例だ。高岡は「鋳物の町」の顔があり、梵鐘など仏具、美術品の銅器の製造・生産で全国一。技術は世界的に著名だが、その起源は城下の発展、殖産振興のために藩が鋳物製造を奨励したのが始まりだ。石畳に千本格子造りの町並みは、市内で最も古く、それを物語るように歴史的な味わいが深い。

一軒の家を訊ねると、町内で今も銅器を造っているのは僅[わず]かに5軒、多くが郊外に移転したそうだ。家の奥の鋳物工場に案内されると大小無数の鋳型が並んでいる。4代目の当主、それを継ぐ息子さんとお孫さんの3代が揃って銅器造りに励んでいた。

町の一隅で、昔ながらの技術が時代を超えて親から子、子から孫へと受け継がれている。そして、それらの技術は金属製造や金属工芸という現在の高岡の町を支えつづけているのである。
高岡は「銅器の町」とも呼ばれ、発祥の地である「金屋町」には昔ながらの千本格子の家々が並ぶ。 イメージ
「金屋町」にある高岡鋳物発祥の碑。利長の命で鋳物師7人が千保川左岸で始めた。 イメージ
鋳物の町「金屋町」で銅器を造る「鋳物工房利三郎」。大小の鋳型が並ぶ。 イメージ
「鋳物工房利三郎」4代目・神初[じんぱち]宗一郎氏の銅製(鋳物)の花瓶。高岡では、風炉などの茶道具や置物などの調度品なども造られている。 イメージ
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匠たちと町衆の気風を残す町
金屋町が工業と匠の町なら、山町筋界隈は商都・高岡の顔だ。豪壮な土蔵造りの商家が旧北陸道沿いに数多く現存する町並みは、商都の往時の繁栄ぶりを伝えている。

開町の祖、利長は築城の5年後に没し、高岡城は廃城となる。その窮地を利常が商都として立て直し、救った。高岡の町は、富山湾に注ぐ庄川と小矢部[おやべ]川に挟まれ、この二つの川の流域には砺波平野の大穀倉地帯が広がっている。そして水運・海運など、恵まれた地の利が越中の物資の集散地として交易を促し、町を大きく発展させたのだ。

江戸期には北前船の中継地、明治期には「北陸の大阪」と呼ばれる商都であった。商家群は豪商たちの栄華の名残で、現在の土蔵造りは1900(明治33)年の高岡大火の後、優れた防火建築として再建されたものだ。大火で町の大半は消失したが、山町には利長公以来の町衆の心意気が今も脈々と受け継がれている。

毎年5月に行われる「御車山[みくるまやま]祭」は高岡の誇りだと誰もがいう。京都・聚楽第[じゅらくだい]の御所車を秀吉から拝領した利長が山町の町衆に与えたことに始まる鉾山巡行は、祇園祭に通じる絢爛豪華で雅びなもの。匠たちの技と町衆の財力とで400年を経た今日もつづく祭りは、高岡の人々の精神と気風を垣間見させるものである。
「山町筋」界隈は重要伝統的建築物群保存地区。商都・高岡の隆盛が偲ばれる。 イメージ
高岡駅に近い「高岡市立定塚小学校」。漫画家藤子・F・不二雄さん、藤子不二雄Aの二人が出会い、卒業した母校。教室の一室が“記念館”になっていて、休み時間には子どもたちで賑わう。 イメージ
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