Blue Signal
May 2004 vol.95 
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食歳時記 赤飯
赤飯
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【国司神社】(岡山県総社市)
国司神社の祭神は大国主命[おおくにぬしのみこと]。数々の出雲神話にも登場する五穀豊穣の神である。「霜月祭」では、赤米は甘酒にされて、神饌の儀式の後、参拝客にもふるまわれる。
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地域に残る伝統を受け継ごうと、地元新本[しんぽん]地区の小学生も体験学習として「御田植え式」に参加している。
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赤米の玄米。透明感があり、美しい赤褐色をしている。
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赤米にもち米を7:3の割合で混ぜて炊いたもの。ほんのりと色づいた、いにしえの「赤飯」である。
祝いの日に彩りを添える
祭りや誕生祝い、婚礼など、おめでたい日の食べ物として知られる「赤飯」。もち米と小豆を混ぜて蒸したもので、「強飯[こわめし]」または「おこわ」ともいう。下茹でした小豆の煮汁に浸しておくことでもち米を赤く染め、色よく蒸し上げる。強飯は、祝儀の時は小豆で色をつけて赤飯とし、仏事の時はもち米のみの白蒸[しらむし]とするのが通例。小豆で赤く色をつける食べ物としては、「小豆粥」や「小豆飯」などもある。人生の祝いの席に何度となく登場する赤飯。その起源や暮らしとの関わりについて探ってみた。
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神人共食の聖なる食べ物
赤飯は、そもそも赤米[あかごめ]を炊いたご飯のことで、神前へのお供え物であった。赤米は、糠[ぬか]層にタンニン系の赤色色素を含んだ米で、2分搗[づ]き程度にして炊くと、赤褐色の飯に仕上がる。縄文時代に大陸から伝わったとされ、栽培の歴史は古い。だが、白米に比べ味が落ち、栽培に手間がかかるため、徐々に作られなくなり、明治の中期以降はほとんど生産されなくなった。しかし、赤米を神に供える風習は生き続け、神饌[しんせん]や特別な時には、赤米のかわりに白米を身近な食材である小豆で色づけする方法がとられるようになったと考えられる。神事の後には直会[なおらい]として食される赤飯。直会とは、神への供物、また供物と同じものをいただくことをいう。神と同じものを皆で分け合いながら食べることにより、厄を払い、新たな生命力が宿るという共食信仰に支えられ、赤飯は大切な食べ物として受け継がれてきたのである。
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吉凶との関わりと変遷
鎌倉時代末期の成立とされる宮中の献立を記した『厨事類記[ちゅうじるいき]』によると、宮中では3月3日〈上巳[じょうし]の節句〉、5月5日〈端午[たんご]の節句〉、9月9日〈重陽[ちょうよう]の節句〉の奇数の重なる節句に赤飯が供されている。しかし、それ以外の人々の間では、赤飯は葬式での厄払いに使われていたという。江戸時代の随筆家、喜多村信節[きたむらのぶよ]によって書かれた『萩原随筆』には、「京都にては吉事に白強飯を用ひ凶事に赤飯を用ふること民間の習慣なり」とある。地方によっては、葬儀や先祖を偲ぶ際に用いられた時期があったようだ。それが現在のように慶事は赤飯、仏事は白強飯という形になったのは、「凶を返して吉とする」という、縁起直しの考え方が定着したからといわれている。

一般庶民が祝いの時に赤飯を食べるようになったのは、江戸時代後期とされる。嘉永年間(1848〜53年)に、疱瘡[ほうそう](天然痘)が大流行した時期があった。当時の人々は、疱瘡神の怒りを鎮めようと、赤色を好む疱瘡神のために部屋中に赤い色を散りばめ、赤飯が食べられた。さらに、病気が治った後ももう一度食べた。疱瘡が予防できるようになってからも、この治った後の「祝」いとして赤飯を食べる風習だけが残り、今に至っている。
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信仰とともに受け継がれる赤米作り
古くから、連綿として赤米を作り続け、神事として大切に守っている神社が岡山県総社市[そうじゃし]にある。本庄国司[くにし]神社では、毎年6月中旬頃、神社横にある神田で「御田植え式」がとり行われる。豊作を祈る神事の後、すげかさに白装束の赤米保存会の人たちが赤米の苗を植えていく。赤米保存会会長の小原章さんの話によると、この神田で作られる赤米は「神饌米」のため、藁や落ち葉を入れる程度で他の肥料は使わず、無農薬で育てられている。乾燥も稲掛けによる天日干し。米として収穫できるのは約30kgと少量だが、原種の赤米を守っていくため、他所には持ち出さないようにしているという。普通の稲より茎が長く柔らかいため、しばしば倒れることもあり、成育状態を見守りながら稲穂が赤く色づくのを待つ。稲刈りの後、旧暦の11月15日(新暦12月初中旬頃)には「霜月祭[しもつきさい]」が行われ、赤米は赤飯となって神社の本殿、拝殿など数箇所に供えられる。この赤米の神饌は、400年以上の歴史があり、1985(昭和60)年には岡山県の重要無形民俗文化財に指定された。
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赤い色にこめる願い
赤米を起源とし、現在のような小豆で色をつけたものへと「赤飯」の中身は変化してきた。しかし、赤い色の持つ呪術的な意味は、変わることなく生活に根づいている。帯祝い、食い初め、初誕生など、出産・育児の儀礼の際には、赤飯が登場する。さらに、端午の節句に子どもの健やかな成長を赤飯で祝う風習は、今なお残っている。赤飯に南天の葉を添えるのは、「難を転ずる」という意味があるといわれ、食べる時のゴマにも縁起をかつぎ、切りゴマは使われない。重箱の中には、いつの時代も幸福を願う庶民の思いが詰まっている。
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