Blue Signal
January 2004 vol.93 
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鉄道物語
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鉄道物語
河川、渓谷、低地、道路を乗り越えるための橋梁。
単なる交通のための構造物を超えて、時にはまちのランドマークともなる、
橋梁の歴史と構造を紹介する。
景観と調和する機能美「橋梁」
古代メソポタミアに生まれたアーチ橋の歴史
ヨーロッパには紀元前後の古代ローマ時代に建設された石造りのアーチ橋が現存し、2000年もの歴史を経て現役として利用されている。アーチ橋の起源は紀元前4000年〜3000年の古代メソポタミア時代で、レンガでつくられた尖頭型アーチの存在が発掘によって確認されている。

ローマで完成されたアーチ橋の技術はヨーロッパ全体に広がり、数々の美しい橋が建設され独特の景観をつくった。イギリスで鉄道が誕生した1825(文政8)年当時も、橋といえば石やレンガ積みのものが主流だった。日本の鉄道においても、今でこそレンガや石積みのアーチ橋は少数派となっているが、1874(明治7)年に神戸〜大阪間が開業した当時は一般的な橋梁形式であり、1877(明治10)年に開業した大阪〜京都間では123カ所の橋梁のうち約半数がレンガや石積みのアーチ橋だった。
桁橋、アーチ橋、吊橋その種類もさまざまに
鉄道における橋梁とは、河川や谷をまたぎ列車を支え安全に運行させることが基本的な役割であり、河川のある場所だけでなく、道路や他の鉄道との立体交差となる場所など、いたるところに存在する。もっともポピュラーな鉄道構造物のひとつであるといえるだろう。

鉄道橋にはその構造や材料などの別にさまざまな種類があるが、構造面で大別すると桁橋、アーチ橋、吊橋の3つに分けられる。

「桁橋」とは、丸木橋のように桁を水平に架けるもので、三角形に組んだ部材を連結させて桁をつくったトラス橋もこれに含まれる。「アーチ橋」は、石やレンガなどを曲線状に組み上げて開口部をつくったもので、現在は鋼材を使ったものが主となっている。「吊橋」は、その名の通りケーブルなどを使って橋床を吊り下げるもので、桁橋やアーチ橋では困難な長大な橋が必要なときに多用される。

いずれの形式にしても、建設地の地理的特性や橋梁そのものの耐久性、安全性などを総合的に判断して建設される。さらに、ヨーロッパの石やレンガのアーチ橋がランドマークともなったように、景観を大きく左右する構造物でもあるため、周囲の景観との調和を配慮して設計されるのが原則となる。

このため橋梁工学という専門分野が生まれ、応用力学、構造工学、材料学、地盤工学、河川工学、耐震工学、環境工学、工業デザインなど学問領域も多方面にわたる。
汎用性を高めたコンクリート橋梁
橋梁の材質は、木材からはじまり、石、レンガ、錬鉄、鋼鉄へと進化を遂げてきた。そして1900(明治33)年頃には鉄筋コンクリート(RC)が使用されるようになり、さらに強度を高めたプレストレスコンクリート(PC)がフランスで発明され、鉄道橋としては1945(昭和20)年にイギリスで初めて実用化される。

日本で本格的にPC橋が採用されたのは1965(昭和40)年に完成した大阪環状線の高架橋などで、強度が高く塩害による錆にも強く、しかも騒音が少ないというコンクリート橋梁の利点が生かされている。現在では、新たに建設される鉄道橋梁の約60%がRC、PCなどのコンクリート橋梁となっている。

その他、鉄道橋梁にはさまざまな種類があるが、めずらしいものとしては可動橋というものがある。その名の通り、橋の架かる河川や水路を船舶などが通行する際に橋が動くことによって通行を可能にするもので、大正時代から昭和初期に臨海地域の工業化が起こったことによって多数建設された。船舶の大型化と港からの輸送の需要が高まったことによる。

橋梁建設技術が発展し高橋脚や長径間の橋脚が建設されるようになったため可動橋の需要はなくなったが、山陽本線兵庫〜和田岬間には日本の鉄道用可動橋として最古の「和田旋回橋」が現存している。

大阪市北区には最初の鉄道用鉄橋として建設されたもののひとつ「浜中津橋」が道路橋として残るなど、各地に歴史を語る橋梁が現存している。そんな橋梁たちを探す旅も魅力だろう。
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鴨川橋梁(奈良線 京都〜東福寺間)
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老ヶ辻橋梁(JR京都線 長岡京〜山崎間)開業時の姿を残して現役で使用されている3径間連続アーチ橋
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上淀川橋梁(JR京都線 新大阪〜大阪間)開通から100年を過ぎ現役として使用されるトラス橋
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和田旋回橋(山陽本線 兵庫〜和田岬間)
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