エッセイ 出会いの旅

南田裕介

株式会社ホリプロ スポーツ文化部 アナウンスルーム担当 副部長 。1974年8月22日生まれ、奈良県出身。静岡大学卒業後、1998年ホリプロに入社。タレントのプロデュースをする傍ら、自身もテレビ朝日「タモリ倶楽部」、CS日テレプラス「鉄道発見伝」などの鉄道関連のテレビ、ラジオ、雑誌やYouTube、イベントにも出演。著書「南田裕介の鉄道ミステリー」など。

「銀河と私と」

 1985年4月。深夜の大阪駅のホームには20系 客車が停まっています。

 東京行の寝台急行「銀河」です。

 小学生の私は母と一緒に乗ることになっています。

 そうです、これが私の人生はじめての夜行列車、寝台列車デビューです。

 乗る車両はA寝台。まだ子供だったので寝台料金がかからないということもあり広いA寝台を選んでくれました。数日前からとても楽しみにワクワクしていて、とにかく興奮していました。A寝台は思ったよりも広かったことを覚えています。列車は出発。東京までずっと寝ずにいるつもりでしたが、母曰く、京都に着く前にすでに寝息を立てていたとのこと。そういうものですね。そして目覚め。列車はすでに横浜駅を出発し、東京に向けてラストスパート。窓から見る車窓は、その頃住んでいた奈良県ではありえないほどの並走線路、カラフルな通勤電車とのすれ違い、胸が踊りました。夜行列車で到着して観る東京の風景は、これまでとはひと味もふた味も違いました。鉄道ファンにレベルがあるなら1つ上がった気がしました。

 1995年1月。深夜の静岡駅のホーム。深夜2時前、列車に乗り込みます。2度目の寝台急行「銀河」、大阪行きです。静岡大学に通っていた私は、生まれ育った奈良県王寺町の成人式に出るためこの列車に乗るのです。自分のB寝台でひととき目を閉じます。目覚めは大津付近。少し曇っていたと思います。大きなカーブを走行していました。京都で降りて奈良へ向かうわけですが、一晩でグッと大人になった気持ちがしました。「銀河」が私を大人へと導いてくれた、そんな気がしました。

 そして2000年代。私の寝台の足元には大きなカバン。タレントの衣装が入っています。3度目の寝台急行「銀河」はビジネス利用でした。すでにマネージャーになっていて、全国各地へ出張していました。この日は大阪で午前中の生放送の立会いの仕事でした。タレントは先に大阪に入り、私だけ夜行列車で向かいます。テレビ局で時間通り朝8時に合流。自分自身かなり成長した気がしました。

 その後、何度も会食が終わった後など品川駅に行き寝台急行「銀河」を見送りました。他の寝台列車がヘッドマークをつけていたのに対し、「銀河」は頑なにヘッドマークをつけませんでした。自分は特急列車ではなく、急行列車という誇りを感じました。やがて寝台急行「銀河」はその役目を終えました。

 2021年7月。新宮駅に停車しているのは、「WEST EXPRESS 銀河」です。西日本で「銀河」が蘇りました。

 試乗会に参加させていただき、新宮から京都まで旅をしました。様々なタイプの客室に、各駅での長尺停車など、これまでの特急列車の旅概念を突き破った列車です。お昼12時台に新宮駅を出発し、海を見ながら紀勢本線を北上します。きれいな海の車窓や各駅でのおもてなしはとても癒され、格別の列車旅です。やがて和歌山に着く頃には陽も暮れここからは夜行列車の味わいです。車窓から見えるのは街の灯り。また独特なワクワク感、アドベンチャー感が感じられました。それは、初めて寝台急行「銀河」乗ったときの感覚に近しく、「WEST EXPRESS 銀河」は、間違いなく47歳の私を、少年時代へ連れて行ってくれました。列車は気持ちをも時空を超えて運んでくれるのです。

 「銀河」以外にも列車が走っています。たくさんのお客さんを目的地まで運んでいます。と同時にそのお客さんの気持ちも運んでいるのです。

 さぁ、次に乗る列車は、私をどこに連れて行ってくれるかな。

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