Blue Signal
January 2009 vol.122 
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寒卵とは、二十四節気の小寒から 立春までの寒中に、鶏が生んだ卵をいう。 かつてこの時期の卵は滋養が多いとされ、 貯蔵も利くことから珍重されていた。 「ホトトギス」同人、また俳誌「かつらぎ」主宰として 俳壇に多くの足跡を残した阿波野青畝[せいほ]の句とともに 身近な食材の歴史をひもといてみた。
写生精神の高揚に生涯を捧げる
 阿波野青畝は、1899(明治32)年奈良県高市郡高取町に、父橋本長治、母かねのもとに生まれた。本名は敏雄。1923(大正12)年に大阪の阿波野家に養子縁組で入って以来、阿波野姓を名乗っている。小学校に入学した6歳の頃から中耳炎が慢性化し、医者通いを続けたが難聴は生涯のものとなった。そのため、家の中で過ごすことが多かった青畝は、石川啄木を好んで歌集に親しみ、また郷土の文学である『万葉集』(759年)を愛誦したという。

 県立畝傍[うねび]中学校(現高校)に入学した頃より俳句に惹かれだした青畝は、初めて購入した俳誌『ホトトギス』で大和郡山の原田浜人[ひんじん]を知り、師事することとなる。青畝18歳の時に、浜人の紹介により高浜虚子との対面を果たす。虚子は村上鬼城[きじょう]の例を引き、難聴に屈することなく立派な作家になるよう激励したといわれ、青畝はこの年『ホトトギス』に初入選している。ある時期、主観句に傾倒し句作の壁にあたった青畝は、客観写生への不満を虚子に訴える。しかし、虚子からの懇ろな返書に感銘を受け、その後は写生の習練に努めながら師道を忠実に守り、終生『ホトトギス』同人としての作句生活を貫いた。

 冒頭の句は、処女句集『万両[まんりょう]』(1931年刊行)に収められた作品である。寒さ厳しい冬の朝、滋味豊かな卵を食す情景が、みずみずしい写生で詠われている。
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殻を保護するとともに、湿気に弱い卵を乾燥状態に保つという利点から、かつてはもみがらを保存に利用していた。
寒卵即ち破って朝餉かな  青 畝
貴重な食材としての歴史
 卵は、玉のように丸い形から「玉の子」が語源とされる。また、生命の象徴であり、魂の入ったものとして「魂[たま]の子」とする説もある。日本での食用の起源は定かではないが、鶏が大陸から伝来したのは弥生時代。稲作とともにその周辺文化のひとつとして伝わり、家禽[かきん]化されたと考えられている。しかし、『古事記』(712年)には「天の岩戸の前で常世長鳴鳥[とこよながなきどり]に時を告げさせた」とあり、鶏は古くは時告鳥として神聖視されていた。また、天武天皇の時代には、牛馬犬猿とともに食用が禁止され、その卵も殺生の感覚からか、あまり食べられなかったようである。

 安土桃山時代になり、卵を素材とする南蛮料理や菓子が伝えられると、食用に対する抵抗感が薄らぎ、しだいに日本料理にも用いられていく。1785(天明5)年には、「玉子百珍」とも呼ばれる料理の専門書『万寶料理秘密箱[まんぽうりょうりひみつばこ]』が刊行され、多様な料理法や簡便さから食品としての重要性が増し、広く卵料理が知られるようになった。その後、栄養価の高さが注目され、明治から大正時代にかけては滋養食品として出産祝いや病気見舞いなどにも利用されたという。今日、卵は年間を通し安価な食材として流通しているが、養鶏が農家の庭先で行われていた頃は季節にも左右され、産卵量が減る冬場の卵は特に貴重であった。
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地産地消にこだわった懐かしの味
 青畝の句から時代を経た今も、新鮮な卵は卵かけご飯として生で食されることが多い。この簡素ともいえる卵料理が名物となり、注目を集めている町がある。岡山県の中央部からやや北に位置する久米郡美咲町。この町に昨年1月にオープンした「食堂 かめっち。」は、町や商工会、JAなどが共同運営する「たまごかけごはん」専門店である。家庭で食べるものとはひと味違う卵かけご飯を求めて、県外からも多くの客が訪れ、休日には行列もできるという。町には西日本最大級の養鶏場があり、新鮮な卵はいわば町の特産品。ご飯は、標高400mの山間地にすり鉢状に広がる棚田で育まれた米を釜炊きし、地元の桜湖焼[おうこやき]の飯椀に盛りつける。さらに町内の醤油醸造所で作られる醤油を使ったオリジナルのタレも開発されている。

 美咲町によると、卵かけご飯を全国に広めたのは、同町出身の明治時代を代表するジャーナリスト岸田吟香[ぎんこう](1833〜1905年)とする説があるという。日本の新聞界の草分けとして活躍するとともに、実業家としても先駆的な役割を果たした吟香は、卵かけご飯をこよなく愛し、旅先でも卵を取り寄せて食していたという記述も残っている。郷土の歴史、誇りが詰まった「たまごかけごはん」。昔懐かしい素朴な味わいは、豊かな時代の食文化として、地域に根ざしている。
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たまごかけごはんは、美咲町特産の詰め合わせ。卵や醤油・タレは勿論、食堂を切り盛りするのも町民の方たち。黄福定食は、産みたて卵、炊きたてご飯をおかわり自由で提供している。
 
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